吉本隆明『今に生きる親鸞』

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 親鸞真宗の始祖ですが、信仰によって僧侶であったのではなく、理念と思想がたまたま宗教の形をとらざるを得ない時代だったから僧侶であったにすぎません。また、僧侶だったから浄土門の経典を註釈したのではなく、思想がたまたま仏教の形をとらざるをえない時代だったから、仏教的であったにすぎません。

(p. 13)

 

 親鸞は弘長二年(1262)に89歳で京都で亡くなったとされます。その後、娘の覚信尼や弟子たちが京都東山大谷に親鸞の墓を建て、廟堂を建てました。やがて覚信尼の孫の覚如が、この廟堂の名前を本願寺とします。親鸞は、寺をつくれとか、仏像を拝めとは一切言っていないし、そんなものは要らないんだと言っていたのですが、子孫がつくってしまったわけです。

(p. 43)

 

 法然は、例をあげて、称名念仏がいかに優れているかを説いています。

 例えば、富んでいる人は仏像を作って寄進したり、塔を立てて供養したりすることができます。しかし、貧しい人はそんなことはできません。もし仏像を作ったり、塔を立てたりすることのほうが浄土へ往きやすいというのなら、貧しい人は浄土には往きにくいことになってしまいます。しかし、称名念仏は貧富に関わりなく、誰でもがまったく平等に称えることができます。

 また、もし知恵がすぐれている人や、見聞のある人、あるいは、様々な判断をよくできる人のほうが浄土へ往きやすいのなら、知恵や知識がなく、見聞が狭く、世間のことどもに判断がよくできないような人は、浄土へ往けないことになります。しかし、そういった人たちでも、名号を称えることはできます。

(p. 51)

 

……つまり、仏教についても何も考えず、学問や知識もなく、子供を生み、老いて死んでいくごく普通の人たちが考えていることを、自分も考えたか、考えないか。それを自分の仏教の教え、思想の中に繰り入れることができたか、できなかったかという点が、法然、あるいは親鸞と、当時の優れた坊さんとの決定的な差異なのです。

……これは単に資質の違いではなく、器量の違いです。

(p.55-6)

 

一念義

 阿弥陀の第十八願は、心の底から阿弥陀如来を信じて、名号を生涯のうちに十回でも称えれば浄土へ往けるということです。親鸞は、法然の教えを受け、第十八願を眼目とするようになりますが、さらに、一生のうち真心を込めて一度だけでも念仏を称えればいいんだというところまでいき着きます。

……

「生死は不定である」のだから、誠心誠意、一回称名して終わるかもしれないという想いをこめるべきだ。親鸞のこの考えは「一念義」のなかに加えていいものです。

(p.71-4)

 

 親鸞は、

「どんな自力の計らいもすてよ」

と、繰り返し説きました。自分ではどんな計らいももたない。浄土に近づくためには、絶対の他力を媒介として、信ずるよりほかにどんな手段も持っていない。この「本願他力」こそ、究極の境涯である、としました。

(p. 79)

 

 その時々に出会った困っている人とか、苦しんでいる人とかを助けるということは、本当を言うとどっちでもいいんだ。助けようと思えば助ければいいし、助けようと思わないで通り過ぎたって、そんなことはどうでもいいということなのです。救済というのは、そういうものではないということです。

(p.140)

 

 また、親鸞は、阿弥陀如来とは何かについて、それは知恵の「光」なんだという言い方もしています。人間の煩悩とか、そういうものによって不透明にならない、あるいは、そういうものがあっても、それを透過してしまうような知恵の光である。

(p.143)

 

 無為、無想にして、ただ何も思わずにひたすら念仏を称えると、向こうのほう、つまり阿弥陀仏のほうでひとりでに往生させてくれるものだ。向こうにまかせろということなのです。これを親鸞は「自然法爾」(じねんほうじ)と言っています。

(p. 146)

 

 

 阿弥陀如来は全然、人間の形なんかしていない。それは「無」だ。色も形もないものだ。そして人間を「おのずから」という状態に持っていける手段、あるいは姿勢、素材、媒介物が阿弥陀如来であるーー親鸞は、こうはっきり言っています。

(p.144)

 

 目の前の人を助けるかどうかというのは、相対的な善悪に過ぎない。徹底している善悪とは、ひとたび浄土へ往って(この浄土は本質的な浄土ですから、死んでしまったあの世ということではありません)生をも見通せる、死も見通せる場所から還ってくるということです。……

……「還ってくる」ということ自体が、一種の形而上学的なことなのだから、そういう思想がなければたくさんの人を助けることなどできないのだ、というふうにとっても、もちろんいいでしょう。

(p. 165-69

 

「たとひ一代の法ヲ能々学ストモ、一文不知ノ愚とんの身ニナシテ」

……

 これを通俗的に解釈すると、知識というものは殺すものなのだ、と親鸞は言っているのだと思います。知識など自慢するやつは一番バカなんだ。知識を極めるのはいいことだが、極めたら、あとはそれを殺すという道を通らない限り、こんなものを自慢しているやつはダメなんだ。知識を殺せなければ嘘なのだということです。

(p. 187)

 

 

 

どちらも医療者の納得いく死

緩和ケア医 新城拓也さんツイッター
 
かつては延命治療の果ての死として、今は普通に病院での蘇生行為を開始しない死として、どちらも根にあるのは関わる医師や医療者の納得いく死なんだと、医療現場では考えていると思います。行為は正反対でも、同じところがあるのです。#死の話
 

田尻由貴子著 慈恵病院こうのとりのゆりかご関連2冊

『はい。赤ちゃん相談室、田尻です こうのとりのゆりかご・24時間SOS赤ちゃん電話相談の現場』

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 2016年9月刊行

 

著者は2015年3月に慈恵病院を定年退職

 運用開始から退職までの8年間にゆりかごに預けられた子は112人。減少傾向にあったが、望まない妊娠の相談件数は増加。

 退職後はスタディライフ熊本の「ハートtoハート」で24時間SOS電話相談。

 

 『「赤ちゃんポスト」は、それでも必要です。 かけがえのない「命」を救うために』

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熊本市の慈恵病院 2007年5月に「赤ちゃんポスト」を設置。

 

2004年にドイツに視察へ。

ドイツの「ベビークラッペ」第1号は2000年4月。

2004年には国内70箇所。

預けられて8週間は保護した機関が育て、その間に母親の話を聞き、相談に乗る。母親が分からなかったり、育てられないことが明らかになったら、養子縁組を望んでいる夫婦を探す。さらに成人するまで行政が継続的にかかわる。匿名出産、内密に出産して養子に出す制度も整備。

 

日本では預けられた赤ちゃんは乳児院児童養護施設で成長することが多い。養子は12%。ドイツは50.4%。アメリカ77.0%。オーストラリア93.5%。

 

特別養子縁組の成立件数は全国的には増加傾向にあるが、東京都では、ゼロ歳ゼロか月での養子縁組里親委託は2010~2014年の5年間で、ゼロ。一方、乳児院への措置となったゼロ歳ゼロか月児は5年間で370人。

 

2016年12月9日、特別養子縁組あっせん法案可決

●政府からの補助金制度

●研修制度の支援

●あっせん団体が届け出から許可制に

 

一例。両親の住所が海外の外国人だった子どもの預け入れ。

 

2017年に関西の助産院での第2例開設の試みがあったが、神戸市が医師の常駐を求め、断念。

 

宮坂道夫『対話と承認のケア ナラティブが生み出す世界』

……傾聴ができていると見なせるのは、自分と意見が違っても冷静に相手の話を聞くことができる、言葉には表現されていない相手の気持ちにも注意しながら聞いている、相手の立場になって話を聞いている、話を聞いているときの自分の気持ちに気づいている、相手が言いよどんでいるときには「たとえば、こんなことですか?」ときっかけをつくる、相手が話したポイントを頭の中で要約しながら聞いている、といったものである。

 逆に、望ましくない態度とは、相手の話が終わらないうちに話し始める、指示・説得調の話し方になる、自分のほうが長く話している、自分の機嫌が悪いと攻撃的な言動になる、相手と議論になったり自分の意見を押し通してしまったりする、自分の考えと異なる意見を否定しがちだといったものである。

(p. 134-5)

 

  • リタ・シャロン:個別的な存在として患者を見よ、と主張。すべてのケア者は「物語能力 narrative competence」「病の物語を認識し、吸収し、解釈し、それに心動かされて行動するために必要な能力」を持つべきだと説いた。

 彼女(児玉注:シャロン)は、長年にわたって診察してきた患者から、あるとき突然に身の上話を聞かされた。その人は89歳のアフリカ系の女性で、高血圧、乳癌、脊柱管狭窄、および不眠と不安に苦しんでいた。そうした長年の不調の発端になったのが、子どものころの落馬事故だという話をこれまで何度か聞かされてきた。ところが、二十年以上も診察をしてきたある日、本当に経験したのは落馬事故ではなく、近隣の白人少年からのレイプだったと語ったのだった。

(p. 136)

 

  • ケアをめぐる状況には、複数の人の物語があり、それらが対立している場合がある、という事例として、著者が例示したのは、おおむね以下のような創作上の看護師の物語(p. 165-6)。

 80代の慢性的に肺機能が低下した男性患者。肺炎を起こしたため、医師は一時的に人工呼吸器を使うことを決めて家族に説明。ただし、改善して離脱できるかどうかは不透明。本人は呼吸器をつけたくないと言っていたとして妻はためらうが、医師が強く説得したため、つける場合には精神的ケアをと頼み、代諾書にサイン。意識を回復した本人は、怒り、妻は苦しんだ。結局、離脱もできないまま、妻が望んだ「精神的ケア」は結局は睡眠薬のみで、本人は死なせてほしいと訴え続け、しかし医師は呼吸器は外せないと考えている。

著者はそれぞれの立場の物語が対立しているので、ケア者は対話による複数のナラティブの調整が必要だとしている。が、これは医師の強引な意思決定プロセスの進め方に問題があるのでは?

 

  • 本書の議論の柱として繰り返されるのは、「実在論」vs「構築論」というケアの姿勢の対比。

 

 ……物事を〈人間の認識とは独立して存在する〉とする実在論と、〈人々の認識によって社会的に構築されている〉と見なす構築論とがあり、両者はまったく違った対話のモデルを描かせる。

(p. 170)

 

 効果の検証の課題はともかくとして、少なくともリフレクティング・チームとオープン・ダイアローグのように、完全に構築論的な実践例からは、ナラティブ・アプローチがケアになるための、もう一つの仮説が立てられそうである。すなわち、〈ケア者のみが正解を知っているという前提を放棄して、ケア者と被ケア者とが自由に発言できる対話空間の実現が、心のケアになる〉ということである。

(p. 204)

 

 リフレクティング・チームやオープン・ダイアローグがきわめて革新的であるのは、〈ケアする私〉と〈ケアされる私〉の関係を、ピンで留められていたかのような図式から解き放つ点にある。〈ケアする私〉だけが保持してきた、専門家として「正解」を述べる特権が棚上げにされ、ケアの「正解」は、そこで行われる対話によってのみ導き出され得るもので、それを事前に知っているものは誰もいないという前提が共有される。

(p.247)

 

  • 著者が最後に「弱さの共有」という小見出しで書いていることは、ちょっとなぁ……。

 近未来に健康管理を担うロボットが出現し、傾聴までしてくれるという想定で、我々はロボットに話を聞いてもらってよかったと思えるか、という問いに対して、我々は死ぬ存在である者同士だからこそ傾聴によってケアが可能なのだとすれば、やがて必ず壊れる宿命を背負ったロボットであれば、「親近感を感じて」話を聞いてもらいたいと思うのではないか、という仮説を立てて、それを「弱さの仮説」と自称しているんだけれど、いくらなんでも、これはないんじゃない? 最後にものすごく安直なところに落とされて、終わられた感じ。

 

『ケアするのは誰か? 新しい民主主義のかたちへ』ジョアン・C・トロント著 岡野八代訳・著

 権力者であることは、自分をケアしてくれる誰か他のひとがいることを意味しています。……ケア活動という観点からみれば、権力者であるとは、ケアをめぐる嫌な部分を他者に押し付け、自分にとって価値があると考えるケアの義務だけを引き受けられることを意味します。

トロント、p. 36)

 

メモ:トロントが提唱する新しい民主主義の理念は「共にケアすること」。そうして、ケアの倫理を通して政治理論、また民主主義を開き、鍛え上げることを説く。

 

……わたしたちが平等化しなければならないものは、ケア提供という行為そのものではなく、ケアに対する責任であり、そしてその前提条件として、いかにその責任が[社会の中で]配分されるべきかについての議論なのです。

トロント、p. 39)

 

メモ:大学で教え始めた80年代にトロントが「フェミニストの悪夢」と名づけた問題とは、女性がより幅広い地位につくことができるようになった一方で、これまで白人中産階級の女性たちが担ってきたケア負担を、より経済的に貧しい有色女性、移民女性や男性に担わせることになったこと。

(p.86)

 

 そして、フェミニズムにとってより重要なのは、ケア実践があくまで個別的であり、その実践が閉じられた親密圏を形成しがちであるからこそ、そこに――一般的な親密圏のイメージとは逆に――暴力や搾取の問題が惹起しやすいことを認識し、より良いケア関係を築くための社会的基盤を構想することである。たとえば、産みの母は、その子に献身的にケアをすべきだという一般的な規範が、たとえあり得たとしても、じっさいにはその母の稼ぎに他の家族が頼っていたり、彼女にはケアに足る資力がない場合もある。言うまでもなく、なぜ母なのかという問いは、解決されないまま残るだろう。トロントにとって、この個別性をめぐる問題は、むしろ、より広い政治的な問題へと接続されなければならない。つまり、現在のわたしたちが、非常に狭い範囲の他者にしか気を配らなくてすむという事態そのものが、さまざまな社会制度によって維持されているのではないか。もっといえば、母を中心として、母に多くを負担させ、他の領域からは隔離するような制度設計が、ケア関係を強く限定しているのではないか、と問い返せるはずなのだ。

(岡野 p. 102)

 

……わたしたちは、問い続けなければならないだろう。「なぜわたしたちの社会では、ケアすることという、人間にとって不可欠な活動が、これほどまでに受け止められず、理論家もされず、支援も受けられず、そして敬意を払われてこなかったのだろうか」と[ibid.『道徳の諸境界』トロント 1993年;19]わたしたちの生活、社会、そしてわたし自身の存在をも支えてくれている/きたはずの、さまざまな活動や尽力がなぜ、そして誰の手によって、ここまで不可視化されてきたのだろうか。

(岡野 p. 106)

 

……この(道徳理論における公私の)境界線は、女性をはじめとした一部の者たちに、公的領域では価値がないとされる活動を押しつけつつ、そうした活動を通じいやおうなく影響を受ける/身につけていく、彼女たちの人格や道徳性を、公的領域に相応しくないとさらに貶める。他方でそれは、公的領域の中心にすでにいる者たちの権力を維持し、その道徳性や判断力を高く評価し、かれらの特権を守る役割を果たしてきた。ケアという概念が、政治理論としての批判力を発揮するのは、まさにこの地点である。

(岡野 p. 108)

 

……この問題的は、再度繰り返すが、〈自律か、依存か〉といった二元論的な考え方に囚われた政治理論を、人間の本性を相互依存性にみる政治理論への転換し、……

(p. 109)

 

 このように考えてみると、公私二元論は「ケア」と認識される活動を中心に、実際にケアを行なう者と受け手と(とに傍点)、そうした実践に直接かかわることはない――かかわらなくてもよい――が、ケア活動の価値づけや社会におけるケアの位置を決定できる立場にあるものとを分け、固定化する境界設定の役割を果たしていることに気づかされる。わたしたちの内部にまで浸透するこうした公私二元論の役割とはしたがって、ケアを中心に、不平等や格差が構築されていることを見えなくしてしまうことである。そして、ここにおいて、既存の政治、既存の社会の中心が、特権的に(特権的にに傍点)、ケア活動に関心がなく、担わなくてもよく、〈自分が知ったことではないWho Cares?〉と誰かにケアを押しつけておくことのできる者たちの無責任さ(無責任さに傍点)に覆われていることに、否応なくわたしたちは気づくことになる。

(岡野 p. 111)

 

ナニー問題

……社会の富裕層が、自分の子どものケアに対するニーズを満たすために、家事労働者を雇うことは、その雇用関係にある者だけでなく、社会全体にとって不正を働く結果になるとして、彼女はそれを「ナニー問題」と名づける。

(岡野 p. 113)

 

……かつてないほどに、経済的自立、自身の市場価値を高める自己責任が、市民としての責任であるかのように喧伝されるなかで、ではいったい〈ケアするのは誰か? Who Cares?〉と問われなければならない。そして、そもそも市民であることから排除されている者たちに、誰がケアを押しつけているのかと問うことは、地球代の喫緊の課題である。……

(岡野 p. 114)

 

……古代ギリシャでは奴隷が、二○世紀前半までは、二級市民である女性たちが、そして今や、市民から排除された外国人が担わされ始めたケア活動を、民主的な実践へと変革しなければならない。

(岡野 p. 116)

 

 ケアする民主主義の出発点は、これまでの民主主義が前提としてきた人間観を変革し、つねにすでに依存関係に巻き込まれ、他者に依存するが故に傷つきやすく、誰もがケアの受け手となり、誰かがケアを提供しなければならない、わたしたちの現実である。

(p. 116)

 

メモ:「大文字の政治」政治、外交、官僚の世界の政治

   「小文字の政治」私たちの日常生活を規定する権力関係

 

 

 

 

 

 

 

『ともに悲嘆を生きる グリーフケアの歴史と文化』島薗進

……大切な人が亡くなったことについて、自らに責任があるように感じてしまうことは少なくない。そこには自分が愛する人に対してもっていた疎ましい思いの自覚も含まれている。愛の対象に対して、同時に憎しみや敵意がこもっているという洞察は「アンビヴァレンツ」(両価性)という言葉で表される。……心の内の葛藤を新たな愛へと昇華していけるかどうかが喪の仕事の課題でもある。

……

 悲しむことは悪い反応ではない。喪われた尊いものを抱き直す「仕事」なのだ。その意味では、むしろよりよく生きていくために不可欠の「仕事」だ。悲しみを省いてしまうことは、心のなかの大切なものを切って捨てるようなことだろう。悲しみという心の仕事を時間をかけて行うことが成熟につながり、それまでにもまして奥深い生きがいを見出していくことに通じる。

(p.77-8)

 

 一般に死別の後、遺された者は自分の不注意や怠慢のために、愛する人を死なせたのではないかという、強い自責感に囚われ、それからなかなか抜け出せなくなってしまう。「脅迫自責」ともよばれるもので、それが喪失後のうつ状態への大きな要因にもなる。思えば人は誰に対しても、自分のエゴイズムを通して関わっている面がある。それが満たされない場合には、不満や怒りや敵意を向ける。愛情の裏にはこうした憎しみの新城も潜んでいる。他者との親しい関係にはこうした両価的(アンビヴァレント)な要素がつきまとい、喪失後、これが自責感・罪悪感を引き起こす。

(p.79-80)

 

 もっと育ってからでも、親から離れることはたいへんつらい。七、八歳で親が死んだり、離別したりした子の心の痛みは想像できる。健康の面から親元を離れざるをえない幼児は初めから悲しみを学んでいくことになる。とはいえ、いろいろな時期があるが、人はみな親から離れていくのも事実だ。……人間は一生、悲しみを経験しながら育ち、愛着の対象から離れつつ生活領域を広げていくともいえる。親のふところを離れ、故郷を離れ、それまで強く愛着を持っていたものから離れていくことで、自分の幅を広げていく。

(p. 83)

 

……フロイト以後の精神分析で次第に強調されていくことだが、人が育っていく際に、最初に母の愛に包まれていた経験がいかに大きな恵みであるか。エリック・エリクソンの言葉では、世界に対し、また生きていくことに対して「基本的信頼」をもつことがその後の成長を支える糧となる。それはまた、いのちの恵の源への感受性を育むことでもある。日本人にとっていのちの源、それは母でもあるが、また家族や地域の人々の愛でもあり、故郷の自然でもある。悲嘆とともに生きていくことは、いのちの源の感覚を持つことである。そう感じる人が少なくない。

(p.85)

 

 悲しみそのものはけっして害悪ではなく、病気でもない。むしろ成長の糧とさえいえる……彼ら(エリクソン、ミッチャーリッヒ、ゴ―ラ―)はいずれも現代社会が、「もの仕事」を適切に行う文化装置を失ってきているのではないかと考えた。人類文化という観点からすれば、悲嘆には積極的な意義があると捉えるのが自然である。それが失われてきたために、新たに意図的に「グリーフケア」というような営みを立ち上げる必要が生じている。このように考えることができる。

(p.106)

 

……当初、悲嘆は病理として扱われた。そこでは悲嘆がない方がQOL(Quality of Life)が高いとするような理解が生じがちである。しかしh、心の豊かさということからすれば、それはむしろ逆である。悲嘆が継続すること、重大な喪失の経験を忘れないことは、むしろ心の豊かさを養うことにもなる。このような逆説的な事態が人間には起こる。QOLの数値的評価をするような場合には注意すべき事柄である。

(p.121-2)

 

 実際的なグリーフケアの活動としても、たとえば東日本大震災後の寄り添いや慶弔活動について、グリーフケアという観点から学び考える姿勢が目立つ。また、この20年ほどの間に、ジ氏遺族、子どもをなくした親たちの集い、がんサバイバーの集い、事故・事件の被害者の集い、様々な機縁による遺族会など、悲嘆や喪失をめぐる多様で自助的な集いが形成されてきている。グリーフケアの専門家がクライアントを癒す事柄としてではなく、お互いに悲嘆を経験する人々が他者を支え合うための何かとして学ばれるようになってきている。こうしたグリーフケアの実践や知識は、今、急速に発展する途上にあると言えるだろう。

(p.125)

 

 アジア・太平洋戦争の死を思い、悲嘆を分かち合うことの困難は学徒兵や特攻隊員の場合にとりわけ顕著に現れた。だが、国民社会が戦争使者たちの死を思い、ともに頭を垂れる気持ちになれないという事態は、敗戦とともに生じていた。「天皇人間宣言」はそうした連帯の困難を象徴する文書でもあった。

(p. 217)

 

 戦争をどう振り返るかというような問題に限られない。現代社会では個々人が置かれた立場が異なり、どのような死別や喪失であるにせよ、まずは孤独な悲嘆に苦しむことを当然と考えてよいような社会環境が広まっている。多様性を意識し、異なる個人同士という前提をさしおいて、悲嘆の共同性をよびさまそうとしても無理がある。お互いの悲嘆が胸に閉じ込められてしまう孤独を避けられないことを踏まえて、悲嘆に向き合うことが求められている。

(p,.218)

 

 日本の仏教は悲嘆をともにする文化の担い手として大きな役割を果たしてきた。15世紀から17世紀にかけて、仏教寺院が全国津々浦々に展開する時期にそれは庶民生活に深く浸透することになった。17世紀に檀家制度が確立することによって、その役割は制度的な裏付けを得て強化され、葬祭仏教というような形態で20世紀の後半まで持続してきた。しかし、親族共同体や地域共同体の崩壊が著しい1990年代頃から、それは新たな方向へと展開する兆しを見せている。飯島の活動はそうした方向を照らし出すものといえるだろう。

(p. 243-4)

飯島恵道 尼僧 長野県松本市を拠点に市民団体「ケア集団ハートビート」を立ち上げ。「悲嘆を語り合うワールドカフェ」を開催。『寺院消滅』に詳しい

 

『障害者とともに働く』藤井克徳・星川安之【岩波ジュニア新書】

 ILOに関わって、もう一点あげておきたいことがあります。それは、「ディーセント・ワーク」(尊厳のある労働、あるいは人間らしい労働)です。提唱された1999年当時と併せみれば、そこに深い意味を読み取ることができます。地球規模での経済成長一辺倒の様相にあって人々の働き方から尊厳が損なわれ、人間らしさが失われていったのです。ディーセント・ワークは、こうした様相への対抗概念であり、警鐘でした。

(p.111-2)

 

 精神障害分野の社会的入院問題に、この地域移行を妨げている要因を見ることができます。主な要因として、①退院後の生活支援の担い手となる家族の高齢化、②本人の経済基盤の脆弱さ、③働く場や住居などの地域資源の不十分さ、④民間病院の経営問題(隊員が増えることによる収入減)、⑤病院縮小に伴うスタッフの働く場の不明確さ(解雇などの不安)、などがあげられます。逆に言えば、これらの課題が克服されれば地域で通常の暮らしが営めるということです。障害者施設でも同じようなことが言えるでしょう。

 ここで、関連するもう一つの大きな問題を話しておきたいと思います。それは、地域で暮らす障害者のなかには、自宅の他に居場所を持たない「家ごもり」の状態にある人がおびただしい数に上ることです。障害者の生産年齢人口(15歳から64歳)は約387万人で、このうち障害者雇用福祉的就労の傘下にある人は約126万人(32.6パーセント)に留まっています。働いていない人の多くがこの「家ごもり」にある人と重なります。現象的には地域で暮らしていますが、本当の意味での地域移行にはなっていません。実質的な地域移行を実現していく上で、こうした日後人も視野に入れるべきです。

(p. 122-3)

 

 (児玉メモ:労働がすべてではない、と書いた後で、「労働を大切にしながらも、自立や幸福を得るために何が必要かを考えてみたいと思います」として、関連分野として、1.総合的な相談体制の確立。2.住まいの確保。3.本格的な所得保障制度を打ち立てることについて解説。)

 4点目は、家族負担を解き放つことです。障害当事者からすれば、家族依存からの脱却ということになります。具体的には民法の扶養義務制度の検討に着手することです。これに関する中核的な規定として、「直系血族および兄弟姉妹は、互いに浮揚をする義務がある」(民法第877条)があげられます。明治期の規定で、戦後扶養義務の範囲が多少狭まったものの、現在でも裁判所が認めれば三等親の親族にまで義務が及びます。

 この規定は国民全般に及びますが、障害者とその家族への影響はより大きいといえます。家族の経済的、精神的、身体的な負担が重いだけではなく、社会政策の公的な責任をあいまいにする温床にもなります。それだけではなく、障害当事者からすると、生涯にわたって家族の庇護のもとで生きることになり、家族への遠慮や、自立意欲の減衰にもつながりかねません。

 成人に達した場合の扶養義務(支援の責任主体)は、家族の手から離れるべきです。……

(p.138-9)