Dying patients living longer than expected lose NHS funds (BBC News,

 

Fast Track パスウェイとは、悪化の進行が早くて終末期が見込まれる病状の患者さんを見極めて、簡単な手続きで迅速に在宅医療につなげるアセスメント・ツールらしいのだけど、

 

www.datadictionary.nhs.uk

ところが、これがまた、本来の趣旨から外れて、切り捨てのツールとなっている模様。

かつてのLCPリバプール・ケア・パスウェイを思わせる。

 

3月17日のBBC記事。

www.bbc.com

 BBCの独自調査によると、

2018年から2021年前に、イングランドウェールズで9037人が資格見直しを受け、そのうち47%が緩和ケアニーズへの支給を失った。さらに15%が、医療ケアから介護ケアに切り替えられた。受給資格が変わらずあるとされたのは38%のみ。

 

記事によると、fast track conitinuing healthcare schimeは、緩和ケアのニーズへの資金を支給し、所得制限がない。受給資格は、状況の急速な悪化とまもなく終末期に入ること。

 

ガイドラインでは「余命が短い」といった狭義の解釈をしないよう書かれているが、支給開始から3か月後に、当初の予後を超えて生きていると、資格審査が行われることが多いらしい。

 

この問題に詳しい弁護士は、このアセスメント・ツールが「往々にしてNHSによるコスト削減策として使われている。なるべく多くの人から支給を引き上げるために」

International Phychogeriatrcis(2020) Commentary: Advocacy for the human rights of older people in the COVID pandemic and beyond: a cll to mental health professionals

 

Advocacy for the human rights of older people in the COVID pandemic and beyond: a call to mental health professionals - PMC

 

著者はCarmelle Peisah(豪), Andrew Byrnes(豪), Israel (Issi) Doron(イスラエル),  Michael Dark(米) and Gerard Quinn(英)

 

Introduction

 COVID-19により、systematic violations of human rights of older people particularly those with mental disorders, due to advanced age, frailty, cognitive impairment, multiple mental and physical comorbidities, and social isolation, the so-called multiple jeopardies for disadbantage.

 

パンデミック下の倫理議論は高齢者の重症化や死亡リスク、人工呼吸器を中心とした医療資源の配分の議論にフォーカスされてきて、その他、問題となる人権問題の多くは議論されてこなかった。とりわけ施設入所の高齢者の人権が実現されないままとなってきた問題がパンデミックで前面に押し出されてきた。

 

 Health care has been notoriously silent about human rights issues and often demonstrates little awareness of human rights frameworks(Byrnes, 2020); Peisah and Jessop, 2020). Now is the time to speak up and act.

 

The background human rights landscape

 障害者の人権については、平等、自律、自立を柱とする国連障害者人権条約(CPRD)で保障され、第25条では医療専門職には障害のある人にも障害のない人と同質の医療を提供する義務が謳われているが、高齢者ではそうした動きが遅れている。

 

高齢者の精神医療にも関連している条項として、12、14、16、19、22、23、25条がある。高齢者精神医療でこうした人権への対応が適切に実行されない背景には、年齢差別、構造的なinertia、高齢者の置かれた固有の状況への認識不足がある。

 

The effect of the COVID-19 pandemic

コロナ以前から高齢者の基本的人権が実現できていなかった問題が浮き彫りになったが、なによりひどいのは、入所施設でのあきれるばかりの死者数。それにより浮き彫りになったのは、生命と健康への人権が保障されていない政策と行政。

 

感染した施設入所者への公平なトリアージ制度がなかったために、施設入所の高齢者であることは多くの人にとって死の宣告となっている。ペンシルベニア州の保健当局DHHSは州に対して、障害のある人たちが差別されないようInterim Pennsylvania Crisis Standards of Care for Pandemic Guidlinesを改訂するよう求めた。

 

Removing driteria that automatically deprioritize persons with disability, these guidlines mandate individualized assessments based on the best available, relevant, and objective medical evidence to support triaging decisions and stipulate that no one be denied care based on stereotypes, assessments of quality of life, or judgements about a person's "worth" based on disability.(HHS. gov. 2020)

 

問題は死者数のみではない。基本的な緩和ケアも死に際して愛する者から支えられることも厳しく制約を受けた。コスト、自律へのニュアンスに満ちた支援、終末期の意思や選好の代弁も、できるかぎり早くACPに署名させておくという包括的な方針までにとどまりがちだった。(Lapid et al, 2020)  コロナでは認知機能が低下したりせん妄のある高齢者では支援された意思決定の機会はなかった。

 

また医療のひっ迫により、医療資源が急性期に集中的に振り向けられたために、もともと人手不足が慢性化していた領域である高齢者の精神医療ではケア資源が不足した。

 

同様の資源不足の問題が面会制限にも影響。

 

The pandemic has necessitated a difficult balance between best pracitce for infection control in residential facilities and rights and autonomyof the people who live in them.

…… Many contries enforced outright prohibition on vistation by families and friends of residents as an effort to curtail spread(CMS, 2020), although an earlier, more flexible approach involved screening, social disatancing, and allowance of visiting on compassionate grounds(WHO, 2020).

 

The restrictive prohibition of visitation enforced without any respect for autonomy or consent from older persons themselves or their loved ones has had a disastrous effect on the mental health and well-being of older people who, in segregated settings where loneliness abounds (Freedman and Nicolle, ; Jeste et al., ), depend on visits from family and friends for solace and support. At the same time, physical health depends on infection control. In facilities with long histories of understaffing, health, and safety violations, it was often family members who first identified poor hygiene, lack of feeding and hydration, and improper medication management (Sciacca, ). The fault lines in the aged care system have opened up.

 

自律の尊重も高齢者自身あるいは大切な人たちからの同意もなしに課せられた面会制限は、高齢者のメンタルヘルスウェルビーイングに壊滅的な影響を与えた。孤独になりがちな閉鎖的な環境では、慰めとサポートを家族と友人に依存しているからだ。同時に、身体的な健康は感染コントロールに依存している。長年にわたって人手不足や、健康と安全性の侵害が続いてきた施設では、衛生状態の悪さや、食事や水分の不足、不適切な薬の管理に最初に気づくのは家族だった。高齢者ケアの境界線がなくなってしまったのだ。

 

It takes extra staff and resourcing to ensure that a spouse can safely visit their partner in a nursing home or even stay with them while they are dying. A blanket rule of no visiting is far more cost effective and keeps numbers of deaths down, but not invariably so. Ironically, it has not been family visitors that have brought the infection into care facilities, but staff. Around the world, despite restrictions on visitors through front doors of facilities, the virus quickly came through the back, carried by health care workers forced by low wages to work at multiple facilities simultaneously with insufficient PPE (Read, ). The confluence of these events has taken a terrible toll, leaving residents sick and dying alone – sometimes abandoned altogether by the care facilities in which they lived (ABC7 News, ).

配偶者がナーシングホームでパートナーと安全に面会できるようにするには、余計なスタッフと資源が必要となる。一律に面会を禁止するのは、はるかにコスト効率がよく、死者数を減らすが、必ずしもそれだけとはいえない。皮肉なことに、ケア施設に感染を持ち込んできたのは家族ではなくスタッフである。世界中で、正面ドアからの訪問者の制限にもかかわらず、ウイルスはすぐに裏口から、低賃金のために十分な防護手段なしに複数の施設で同時に働かなければならない医療職によって持ち込まれた(Read, 2020)。 これらの影響が相まって、時として自分が暮らす施設からも見捨てられて病み、一人で死んでいくこととなり、高齢者への影響は悲惨なこととなっている。(ABC7News, 2020)

 

著者らの提言は、病院やケア施設の方針に平等な医療アクセス、自律と関係性の保証を盛り込む、臨床において自立、自由意思によるIC、支援された意思決定と医師と選好の尊重、意思決定能力に関する基本原則を重視する、など、9つ。

 

Conclusion

In the face of the stressors of the pandemic and without an understanding of human rights, it is easy for health professionals to go “off piste” with regards to human rights, careering down a traditional path of best interests. Certainly, best interests and medical beneficence remain important drivers of medical decision-making (Lapid et al., ). However, an understanding of human rights allows us to pursue other equally important goals of autonomy, connectedness, equal treatment, and dignity. Armed with this understanding, it would be a tragic outcome if health professionals missed opportunities for advocacy for the human rights of older people in their everyday clinical work. Moving toward the future, mental health professionals are perfectly placed to join the debate by the UN 111Open Ended Working Group regarding the possible drafting of a new UN treaty on the rights of older people to pursue the very goals discussed here.

 

医療職はこうした意識を欠いてベストインテレストに傾きがちだが、自立、人とのつながり、平等な治療と尊厳も同様に重要なゴール。この理解を欠いたまま医療職が日々の臨床において高齢者の人権の代弁者とならなければ。精神医療専門職は高齢者の人権条約実現に向けた議論に参加を。(ただし概略)

災害関連介護殺人事件 

www.asahi.com

 

山川徹『ドキュメント災害関連死 最後の声』(角川書店 2022)

終章「救われる命」 小見出し「災害関連殺人」(p. 304-307)

 

●著者は夫の国選弁護人だった鹿瀬島正剛から話を聞いて、書いている。

鹿瀬島は、熊本地震ののちに熊本弁護士会が立ち上げた災害対策委員会の委員長だった人物。

 

●震災前から70代の妻と二人暮らし。生活保護を受給しつつ、5年ほど前から体調を崩して入退院を繰り返す妻を一人で介護していた。 近所の人たちが1,2時間妻を見てくれる間に、図書館やパチンコで息抜きをしていたが、地震でアパートが損傷し、500メートルほど離れた場所のアパートで暮らすことになる。新たな街で頼れる人がいなくなり、介護に追われ、孤立。震災を機に妻の体調も悪化した。妻は要介護1の認定を受けるも、妻がサービス利用を拒否。

 

●2017年4月8日 妻の首をタオルで絞めて殺害。

「妻を楽にしてあげたかった」

 

●11月17日 熊本地裁は懲役3年、執行猶予5年の判決。裁判員裁判裁判員熊本地震の経験者。同情の念があったのだろうと、著者は推測している。

 

有薗真代『ハンセン病療養所を生きる 隔離壁を砦に』(世界思想社 2017)

 ハンセン病療法所に隔離された人々は、みずからに強いられたきわめて厳しい生存条件のなかから、いかにして多種多様な集団的実践を編みだし、肯定的で開放的な諸条件をつくりあげていったのか。本書では、かれらがみずからの置かれた歴史的、社会的条件とわたりあいながら、自己と他者の生を豊饒化していくプロセスを跡づけてみたい。

(p. 9)

 

 このように、脱出と解放を等価のものとみなす論理にとらわれている限り、療養所から出ることのできない人やそこに留まることを選択した人は、療養所という文脈に「埋め込まれた(embedded in)」即自的な存在として、あるいは、無力で依存的な存在として、ラベリングされたままの状態となってしまう。さらにいうと、ひとつの場所から動けない(動かない)人、ローカルな地点に足場を定めて暮らす人、こうした人々の行為の意味もまた、「不―自由」「(抵抗)不-可能」の位相に閉ざされたままとなる。つまり、既存の自由と抵抗の論理では、一つのところに留まる人々の行為にポジティヴな意味を見出すことは困難なのだ。

 もうひとつ、付け加えておくべきことがある。それは、現代社会においては、脱出や可動性を原理とする解放戦略はすでに、支配システムの側の権力装置の中に巧妙に組み込まれつつあるという点である。……(p.38-9)

 

 そして、このような権力装置は、日本の障害者政策にさえ影響を及ぼしてきた。2002年12月に内閣府が定めた「障害者基本計画」(第2次:2003ー2012年)を例に挙げて、この点について確認しておきたい。この計画では、知的障害者入所施設整備を「必要なものに限定する」とし、「施設から地域生活への移行の推進」を図ることが明記されている。この基本計画は、障害者政策の基本的な転換を促すものであり、脱施設化への前進を示すものとして各メディアで紹介された。

 たしかに、一見すると「障害者基本計画」は、知的障害者を隔離収容施設から地域へと解放し、それによってかれらの「自由」を保障するものでであるかのようにみえる。しかし、この基本計画の内実は、手放しで喜ぶべきものではなかった。同計画の中には在宅サービスや通所施設などについての言及は一切なく、障害者の地域生活移行も検討課題として挙げられているのみで、財政的な裏付けをもった具体策はまったく提示されていない。ここで断言されていることは、五年間は施設を整備しないという数値目標と、入所施設の縮小・解体に向けた方針のみである。

 脱施設化の本来の目的は、障害者の暮らしを地域で保障することであり、施設解体はそのための手段の一つに過ぎないものだった。しかし、二一世紀に入って日本政府が主導した「脱施設化」においては、施設解体という手段が目的へと転化され、地域で障害者の暮らしを支えるための社会的資源が整備されないまま、施設解体の身が容認される状況がつくりだされてしまった。

……

 新自由主義政策下においては、社会福祉は自由な経済活動を阻害するものとして抑制の対象となる。……ここでは障害者さえも、市場の中で消費者としての位置を占めることが暗黙のうちに期待されてしまう。このとき「脱施設化」は、当事者とその家族が望んでいたかたちではなく、公費(施設運営費や社会保障費)を削減し、あわせて障害者を福祉商品の新たな消費者として迎えるという論理のもとに推進されることになる。

 このような情勢のもとでは、障害者は、政府や自治体の財政状況に応じて、家族や地域社会から十分な支援を受けられる見込みがない状態で施設から追い出されたり、ある施設から別の施設へとたらい回しにされるなど、居住地を「臨機応変に」移転させられる危険性さえ生じてくる。

……もともとは当事者側の切実な要求をもとに構成された脱施設化の理念もまた、このようなかたちで統治技術に横領され、新たな生の統治の中に組み込まれつつある。

 もはや私たちは、「脱出(エクソダス)」を原理とする自由と抵抗の論理から、いったん「脱出」すべき時に来ているといえる。脱出と可動性が解放のカギとなるというインプリケーションを念頭に置きつつも、その論理だけにとらわれるのではなく、別の自由の回路を拓くことが、いま必要とされているのだ。

(p. 41-3)

 

  光田健輔は、絶対隔離を強固に推進した代表人物として知られている。……

 しかし、ハンセン病療養所で聞き取り調査をすすめていると、いまなお光田を尊敬し、彼に恩義を感じている入所者にたびたび出会う。彼らは、隔離政策の不当性が明らかになった現在もなお、光田を信じ続けている。こうした人々の感情を、「騙されている」ものとして一面的に解釈することはできない。かれらは、簡単に人に騙されてしまうほど鈍感でも無知でもない。むしろ、光田の言動のなかに両義性がはらまれていたと考える方が自然であろう。

(p. 70-1)

 

「らい予防法闘争」1953年

 引き金は、1951年光田ら3人の園長による参議院厚生委員会での証言。「患者の意志に反しても療養所に収容できる法律と強権が必要である」

オーストリア 医師幇助自殺合法化要件

2022年1月1日から施行

 

 

those over the age of 18 who are suffering from “incurable, fatal illness” or a serious permanent illness with debilitating effects that “cannot otherwise be averted” have the right to apply for assisted suicide, which will be a strictly regulated process.

To be allowed to end their lives, patients must provide confirmation of their diagnosis and their ability to make decisions “free from error, cunning, deception, physical or psychological coercion and influence by third parties.” Minors or those with mental health conditions do not fall under the law.

After obtaining the approval of two doctors, one of whom should have qualifications in palliative medicine, the patient should wait for 12 weeks – or two weeks in the case of terminal illness – to reflect on the decision. They should then notify a lawyer or a notary to document all the stages of the process. The person can then be prescribed a lethal drug.

A list of pharmacies where such medications are dispensed will be compiled and kept up to date by the Austrian Chamber of Pharmacists, but to prevent abuse, the list will not be made available to the public.

 

 

https://www.rt.com/news/544966-austria-suicide-assisted-law/

吉田修一『静かな爆弾』(中公文庫)

 座ったまま待っていると、響子は書き終えたメモ帳をテーブルに置いた。

「ごめんなさい。ここで一緒に暮らす自信ない。暮らしたくないわけじゃないけど、今はまだ、帰る場所があるから、ここにいられるような気がする。私にとって、ここが帰る場所に変わるまで、もう少し時間をください」

 細かい文字で、メモにはそう書いてあった。

 読み終えて、響子の顔を見上げると、さっきまでの戸惑いが消えていた。慰めるように肩に触れてくる。

「分かった」

と、ゆっくりと口を動かした。

「分かった。待つよ」

と、細かい響子の文字が並ぶメモ帳の隅っこにそう書いて、顔を見られないように立ち上がり、台所で水を飲んだ。

 告白すれば、このとき俺は、顔を見られるのが怖かった。自分では本気で一緒に暮らしたいと思っているのに、そこに、背けた顔に、安堵の色が浮かんでいるような気がしたのだ。

 不思議な感覚だった。悲しいのに、ほっとしていた。ほっとしたのに、一緒に暮らせないことが悲しかった。

(p. 97-8)

伊藤比呂美『たそがれてゆく子さん』

田中美津さん、上野千鶴子さんと3人のトークで)

……「死ぬ前の夫が安楽死のことを言い出して(「うちにつれて帰る」の章参照:spitzibaraオレゴンに行けば自殺ほう助が受けられる、という話をした)すごくいやだった」とあたしが言ったとき、「なぜ?」と上野さんが追及した。上野さんにジッと見つめられて考えた。「自分の命は自分の命だ、おまえには関わることができないと拒否されたわけね」と上野さんが筋道をつけてくれた。その一瞬、何かがものすごくクリアになった。おそろしいくらい。これが上野さんだ。

(p.95-6)

 

 もう一度、介護したい。

 やってて、すごく幸せだったわけじゃない。やってるときは精神的にいっぱいいっぱいで、まるで若い人のぱんぱんに張りつめたお肌のように、ぱんぱんに張りつめていた。今はそうじゃない。あたしたちの世代のお肌のように、萎れてしなびてからっぽだ。

 男が一人、老いて死んでいくのを看取るのは、ほんとうによかった。

 母の死は、同じ女として見届けた。悲しみなんかなかった。ただ、よく生きた、よく死んだと納得した。でも男たちの死に対しては、それ以上の何かを感じている。達成感というか、終了感というか、感性感というか。

 父のも夫のも、ペニスを見た。それぞれ死に近くなった頃のことだ。おしっこの手伝いをしていたから、見て、触らないわけにはいかなかった。父のも夫のも小さくて、なま温かくて、ふにゃふにゃっとしていた。あれが、真のペニスだったんだなと思う。男のああいうペニスとちゃんと関わってこそ、男と真実の関わりを持てたような気がするのだ。

(p. 100-1)

 

……(spitzibara:夫の死後の生活が数行で描写されて)二か月に一ぺん日本に行ってはしゃぎまわるが、あとはここで、朝から晩まで仕事をしている。いやあ、はかどる。はかどる。

 夢に見た専業詩人の生活だ。とうとう手に入れた。今まで何十年も、母・妻・主婦の兼業だった。……

 今は、そういう義理や義務や家事や世話が何もない。一日中仕事ができる。はかどる。はかどる。むなしいくらい仕事がはかどる。

……時差ボケで寝てると「夜また眠れなくなるよ」と夫に起こされた。そのときの辛さといったらないのだった。泥沼から藻や何やらがひっからまった状態でずるずるひきだされるゴミみたいな気分になった。

 親の介護があった頃だった。あたしはいつも日本に行ってて、いつも留守で、いつも時差ボケだった。そしてそれに、夫は内心ものすごく不満を募らせていたんだと思う。

 今はそれもない。安心して日本から帰ってこられる。時差ボケに身を委ね、眠い時に寝て、目が覚めたら何時でも仕事にかかる。はかどる。はかどる。本望じゃ。

 しかしながらリアルがない。

(p. 108-9)