河合隼雄 小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』

河合隼雄 小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』(新潮社 2008)

 

小川:……

 人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりの現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。小説で一人の人間を表現しようとするとき、作家は、その人がそれまで積み重ねてきたきおくを、言葉の形、お話の形で取り出して、再確認するために書いているという気がします。

 臨床心理のお仕事は、自分なりの物語を作れない人を、作れるように手助けすることだというふうに私は思っています。

(p.45-6)

 

河合:患者さんは、実際自殺するほうへ行かれますからね。それでも僕がその人のために物語を作ることはない。その点は、小説家がしていることと全然違います。その違いは、ちょっと面白いところですね。

(p. 48)

 

小川:質問する側が納得したくて、何か言ってしまう。

河合:そう、質問する側が勝手に物語を作ってしまうんです。下手な人ほどそうです。「三日前から学校行ってません」と言うと、「三日か。少しだね。頑張れば行けるね」とか。これから百年休むつもりかもわからないのにね(笑)。

……

河合:相手を置き去りにして、了解するんです。それで「お父さんとかならんもんかねぇ」とか勝手なことを言う。相談に来た子は、自分の世界と違うことが起こっているから、ますます無口になります。それで最後に、

「まあ、頑張りなさい」でおわり。

小川:納得しているのは先生だけなわけですね。患者さんを置き去りにする。患者さんの持っている深い井戸に、付き添っていく途中で降りてしまうという感じですね。(p.58-9)

 

河合:いや、僕は、女性だから書けたと考えています。なぜかというと、それぞれの時代にはその時代のスタンダードな物語があって、その物語は、男のためのものだったから。紫式部が『源氏』を書いた頃、男には出世していくという物語があった。特に殿上人は、次の正月に自分が何の位になるかっていうことが最大の関心事で、それに乗って生きていた。男はみんなそうやって生きていたから、自分で作る必要がなかった。女の人でも、身分の高い人には、スタンダートな物語があった。……

 ところが、紫式部は身分としてそのスタンダードには乗れない立場なわけです。だけど、経済的な心配はない。財力がある、というのは、大事なことです。そして平仮名がある。こういう条件の中で最初の物語が出来たというのが、僕の考えなんです。あの頃は男は文章は全部漢文で書いていましたからね。

小川:漢文というと、公式文書みたいなものでしょうか。

河合:ええ。男たちが書いている文章は「誰それが宮中に行った。天皇は元気であった」とか、だいたいお決まりのことです。それは漢文で全部書ける。でも、気持ちを書こうと思ったら日常使っている大和ことばでしょ。それで平仮名が出てくるわけです。……(p.76-8)

 

河合:面白いですよ。僕のとこに相談に来る方の中で、三対三で見合いをしたんです。その結果、実にうまい相手を選んでいるんです。

 うまいというのは、一見悪いことのようにも見えるんです。性格がまるっきり反対やとか、趣味が全然違うとか、結婚してうまく行くためには悪いことのように思える。ところが、実はものすごくええことなんです。その人の成長という点から見たら「ええ人選んでいるなぁ」と。(p.85)

 

河合:……人間は矛盾しているから生きている。全く矛盾性のない、整合性のあるものは、生き物ではなくて機械です。命というのはそもそも矛盾をはらんでいるものであって、その矛盾を生きている存在として、自分はこういうふうに矛盾しているんだとか、なぜ矛盾しているんだということを、意識して生きていくよりしかたないんじゃないかと、この頃思っています。そして、それをごまかさない。

……

河合:僕の言い方だと、それが「個性」です。「その矛盾を私はこう生きました」というところに、個性が光るんじゃないかと思っているんです。(p.104-5)

 

 

河合:カウンセリングは、ちゃんと話を聴いて、望みを失わない限り、絶対大丈夫です。でも、例えば「先生、次は学校行きますよ」「嬉しい、良かったね」っていうやりとりが何度あっても、やっぱり行けない。それでこちらが内心望みを失うとするでしょう。そうしたらもう駄目なんですよ。「アカンかったわ」と言われた時に、こちらがちゃんと望みを持っていることが大事なんです。

小川:まだまだ大丈夫っていう、望み。

河合:「行けなかった」と言った時「でも行けるよ」って言うたら、行けなかった悲しみを僕は受け止めていないことになる。ごまかそうとしている。「そうか」と言って一緒に苦しんでいるんやけど、望みは失っていない。望みを失わずにピッタリそばにおれたら、もう完璧なんです。だけどそれがどんなに難しいか。

(p.112)