『ともに悲嘆を生きる グリーフケアの歴史と文化』島薗進

……大切な人が亡くなったことについて、自らに責任があるように感じてしまうことは少なくない。そこには自分が愛する人に対してもっていた疎ましい思いの自覚も含まれている。愛の対象に対して、同時に憎しみや敵意がこもっているという洞察は「アンビヴァレンツ」(両価性)という言葉で表される。……心の内の葛藤を新たな愛へと昇華していけるかどうかが喪の仕事の課題でもある。

……

 悲しむことは悪い反応ではない。喪われた尊いものを抱き直す「仕事」なのだ。その意味では、むしろよりよく生きていくために不可欠の「仕事」だ。悲しみを省いてしまうことは、心のなかの大切なものを切って捨てるようなことだろう。悲しみという心の仕事を時間をかけて行うことが成熟につながり、それまでにもまして奥深い生きがいを見出していくことに通じる。

(p.77-8)

 

 一般に死別の後、遺された者は自分の不注意や怠慢のために、愛する人を死なせたのではないかという、強い自責感に囚われ、それからなかなか抜け出せなくなってしまう。「脅迫自責」ともよばれるもので、それが喪失後のうつ状態への大きな要因にもなる。思えば人は誰に対しても、自分のエゴイズムを通して関わっている面がある。それが満たされない場合には、不満や怒りや敵意を向ける。愛情の裏にはこうした憎しみの新城も潜んでいる。他者との親しい関係にはこうした両価的(アンビヴァレント)な要素がつきまとい、喪失後、これが自責感・罪悪感を引き起こす。

(p.79-80)

 

 もっと育ってからでも、親から離れることはたいへんつらい。七、八歳で親が死んだり、離別したりした子の心の痛みは想像できる。健康の面から親元を離れざるをえない幼児は初めから悲しみを学んでいくことになる。とはいえ、いろいろな時期があるが、人はみな親から離れていくのも事実だ。……人間は一生、悲しみを経験しながら育ち、愛着の対象から離れつつ生活領域を広げていくともいえる。親のふところを離れ、故郷を離れ、それまで強く愛着を持っていたものから離れていくことで、自分の幅を広げていく。

(p. 83)

 

……フロイト以後の精神分析で次第に強調されていくことだが、人が育っていく際に、最初に母の愛に包まれていた経験がいかに大きな恵みであるか。エリック・エリクソンの言葉では、世界に対し、また生きていくことに対して「基本的信頼」をもつことがその後の成長を支える糧となる。それはまた、いのちの恵の源への感受性を育むことでもある。日本人にとっていのちの源、それは母でもあるが、また家族や地域の人々の愛でもあり、故郷の自然でもある。悲嘆とともに生きていくことは、いのちの源の感覚を持つことである。そう感じる人が少なくない。

(p.85)

 

 悲しみそのものはけっして害悪ではなく、病気でもない。むしろ成長の糧とさえいえる……彼ら(エリクソン、ミッチャーリッヒ、ゴ―ラ―)はいずれも現代社会が、「もの仕事」を適切に行う文化装置を失ってきているのではないかと考えた。人類文化という観点からすれば、悲嘆には積極的な意義があると捉えるのが自然である。それが失われてきたために、新たに意図的に「グリーフケア」というような営みを立ち上げる必要が生じている。このように考えることができる。

(p.106)

 

……当初、悲嘆は病理として扱われた。そこでは悲嘆がない方がQOL(Quality of Life)が高いとするような理解が生じがちである。しかしh、心の豊かさということからすれば、それはむしろ逆である。悲嘆が継続すること、重大な喪失の経験を忘れないことは、むしろ心の豊かさを養うことにもなる。このような逆説的な事態が人間には起こる。QOLの数値的評価をするような場合には注意すべき事柄である。

(p.121-2)

 

 実際的なグリーフケアの活動としても、たとえば東日本大震災後の寄り添いや慶弔活動について、グリーフケアという観点から学び考える姿勢が目立つ。また、この20年ほどの間に、ジ氏遺族、子どもをなくした親たちの集い、がんサバイバーの集い、事故・事件の被害者の集い、様々な機縁による遺族会など、悲嘆や喪失をめぐる多様で自助的な集いが形成されてきている。グリーフケアの専門家がクライアントを癒す事柄としてではなく、お互いに悲嘆を経験する人々が他者を支え合うための何かとして学ばれるようになってきている。こうしたグリーフケアの実践や知識は、今、急速に発展する途上にあると言えるだろう。

(p.125)

 

 アジア・太平洋戦争の死を思い、悲嘆を分かち合うことの困難は学徒兵や特攻隊員の場合にとりわけ顕著に現れた。だが、国民社会が戦争使者たちの死を思い、ともに頭を垂れる気持ちになれないという事態は、敗戦とともに生じていた。「天皇人間宣言」はそうした連帯の困難を象徴する文書でもあった。

(p. 217)

 

 戦争をどう振り返るかというような問題に限られない。現代社会では個々人が置かれた立場が異なり、どのような死別や喪失であるにせよ、まずは孤独な悲嘆に苦しむことを当然と考えてよいような社会環境が広まっている。多様性を意識し、異なる個人同士という前提をさしおいて、悲嘆の共同性をよびさまそうとしても無理がある。お互いの悲嘆が胸に閉じ込められてしまう孤独を避けられないことを踏まえて、悲嘆に向き合うことが求められている。

(p,.218)

 

 日本の仏教は悲嘆をともにする文化の担い手として大きな役割を果たしてきた。15世紀から17世紀にかけて、仏教寺院が全国津々浦々に展開する時期にそれは庶民生活に深く浸透することになった。17世紀に檀家制度が確立することによって、その役割は制度的な裏付けを得て強化され、葬祭仏教というような形態で20世紀の後半まで持続してきた。しかし、親族共同体や地域共同体の崩壊が著しい1990年代頃から、それは新たな方向へと展開する兆しを見せている。飯島の活動はそうした方向を照らし出すものといえるだろう。

(p. 243-4)

飯島恵道 尼僧 長野県松本市を拠点に市民団体「ケア集団ハートビート」を立ち上げ。「悲嘆を語り合うワールドカフェ」を開催。『寺院消滅』に詳しい