ケアコレクティブ『ケア宣言 相互依存の政治へ』

www.amazon.co.jp

……トマ・ピケティといった経済学者たちは、これまでになく広がりつづける所得の不平等は、決して偶然ではなく、むしろ、新自由主義的な資本主義の根本的な構造上の特徴であり、現在も指数関数的に広がりつづけているということを明晰に証明しました。そもそもの設計からして、新自由主義は、[経済以外のことは]ケアしないのです。

(p. 18)

 

 ナンシー・フレイザーの説得力のある定式では、伝統的な「男性稼ぎ手」モデルはこのように近年「普遍的稼ぎ手」モデルに置き換えられ、両親はフルタイムの過重労働をする(傍点)ように推奨され、強制までされています。しかし、これが解決策である必要はありません。私たちは、親としてのケアと、有償労働の場における機会の平等の両方に価値を置く、フレイザーが「普遍的(ふりがなユニヴァーサル)ケア提供者」と呼ぶものを全面的に支持しています。とはいえ私たちは「ユニヴァーサル・ケア」という着想を広げるために、このケアの理論をさらに一歩進めたいと思っています。……これが意味するところは、お互いをケアし、そして自然世界を略奪するのではなく、むしろ回復させ、育むための能力を私たちが身につけ、高められるような、社会的・制度的・政治的な諸機関を発展させ、それらを第一に考えるということです。

(p. 46-7)

 

……もしケアを、より良い社会と世界の基盤としようとするならば、私たちは、ラディカルに平等主義的な方向へと現代のケアに関する階層を組み替える必要があります。人間と人間でないものすべての間でのあらゆるケアの形態は、そのニーズに従って、持続性を保つために、平等に評価され、承認され、資源を与えられなければなりません。これは、私たちが乱交的なケアの倫理と呼ぶものにほかなりません。

 乱交的なケアという倫理が基づいているのは、1980年代・90年代のエイズ活動家の理論であり……クリンプは、乱交という概念を、「行きずり」とか「無頓着」の意味で使っているのではありません。そうではなく、それは、ゲイ男性が互いに親密さを表し、ケアする、複数化された実験的な方法を意味しています。

(p. 70-71)

 

……私たちにとって、乱交的なケアとは、最も親密な者から最も遠い者まで、ケアする関係を再定義するよう外に向かって拡散する倫理なのです。……私たちは、ケアに関するニーズ提供のあまりに多くを、あまりに長い間、「市場」と「家族」に頼ってきてしまいました。私たちにいま必要なのは、ケアについての、もっと包容力のある考え方なのです。

(p. 72)

 

 本章では、ケアに満ちたコミュニティの創造には、特徴的な4つの核があると論じていきます。それらは、相互依存、公的な空間、共有された資源、そしてローカルな民主主義です。

(p. 80)

 

 私たちが相互に依存する存在であることを考慮して、ケアに満ちた国家のすべての市民は、生涯にわたって意義深く価値ある生を生きる者として認知される必要があります。したがって、文化的な規範の転換は、私たち全員が本来的に依存する存在であると国家が公に認めることを伴うものであり、これにより、自律性と依存性は同じ現象の異なる側面であると理解されるようになります。……ケアに満ちた国家の公的供給は、依存を深める方向へ展開するものではなく、障害学が「戦略的自律と自立」と呼んできたものをあらゆる人々が育むようになり、また国家と多様なコミュニティの内部で、あるいはそれらの間で、新しい関係性が生まれることが可能となる条件をつくりだすものです。

(p. 114-115)