Dumsday "ASSISTED SUICIDE IN CANADA" Chapter 1  カーター訴訟

Carter訴訟について、リアルタイムで情報を拾ったブログ記事はこちら ↓

 

カナダBC州最高裁からPAS禁止に違憲判決(2012/6/18)

https://spitzibara.hatenablog.com/entry/65229594

 

2012年8月17日の補遺

https://spitzibara.hatenablog.com/entry/65455611

カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州のALS患者Taylorさんの自殺幇助訴訟で、中央政府の上訴審で上訴裁判所が先の判決を支持。Taylorさんに1年の猶予の後にPAS認める。 http://cnews.canoe.ca/CNEWS/Canada/2012/08/10/20091501.html http://www.theglobeandmail.com/news/british-columbia/court-upholds-bc-womans-exemption-from-doctor-assisted-suicide-ban/article4474112/

 

自殺幇助の権利勝ち取ったばかりのALS患者Taylorさん、感染症で急死(加)(2012/10/6)

https://spitzibara.hatenablog.com/entry/65670138

 

ブログで拾いきれていなかったらしいのだけど、この本によると、

この間の2013年にBC上訴裁判がいったん最高裁のSmith判決を覆している。

12年8月の報道との関係がよくわからない。

 

カナダ最高裁、判事の全員一致でPAS禁止を覆す(2015/2/7) https://spitzibara2.hateblo.jp/entry/64483294

 

Dumsdayの本では、

その点の解説が見当たらない(見落としているのかも)のだけど、

上記のようにもともとはTaylorが中心となって数人で起こした集団訴訟なので

Taylor訴訟と呼ばれていたものが、彼女が途上で亡くなったために、

その遺志を継いで訴訟を続けた Carterの名前がついている。

 

以下、本書からのメモ。

 

●原告は5人。

ALS患者のGloria Taylorさん。

自殺幇助を禁じる刑法の規定が、憲法で認められた彼女のrights to liberty and security of the person を侵害してるのみならず、自殺しようと思えば、自分でそうした行為が身体的に可能なうちにするしかなく、まだ死期に至っていないうち自殺を強いられるのは、彼女のright to lifeも侵害している、また健常者の場合に可能な自殺が違法行為ではないことに照らせば、憲法のequality rights を侵害し、principles of fundamental justiceにそぐわない、と主張。

 

Lee CarterとHollis Johnson。

2人は、Kay Caterの実の母親と義理の母親で、Kayを自殺幇助のためにスイスに連れていくことによって起訴される危険があることが、自分たちのright to libertyを侵している、と主張。

 

そして、医師のWilliam Shoicetとthe BC Liberties Association。

(spitzibara注:カナダのほかにもいくつかの国でこうした訴訟は相次いでいるけれど、

安楽死を望む患者と安楽死推進の立場の医師、あるいは推進ロビーが一緒になって起こす、

というパターンがよく見られ、合法化に向けたうねりを作ってきた)

 

●2012年のBC州最高裁、Smith判事の判決。

ロドリゲス判決の時から社会的にも法的にも状況が変わっており、自分の身体への自律は道徳的権利とみなされるようになっていること、この間にオレゴン、ワシントン、ベルギー、オランダなど合法化している国々からのデータやエビデンスが出そろってきたことなどを指摘。

 

自殺幇助の全面的禁止は overly broad であり、grossly disporoportionateである。

 

早期に自殺する以外にないことが生命への権利を侵害しているか、はロドリゲス訴訟にはなかった争点。国側は、障害が進行しても自発的飲食停止により自殺は可能なので、刑法の当該条項によって障害者が禁じられているのは特定の自殺方法に過ぎない、と主張。また、自殺未遂が違法でなくなったからといって、自殺する権利があるということにはならない、とも。

Smithは、自殺する権利があるか否かに関わらず、 a right to physical integrity and autonomous decision making with respect to important aspect of an indivisual's life, indluding aspects erteining to medical inbervension はあるだろう、と。

 

反駁に対して、Taylorのような状況にある者にとって問題となるのは身体の統合性についての単なる自律ではなく、苦痛から自分を解放するための自律だ、とSmith.

 

right to lifeについても、自殺幇助の法的禁止がなければ生きることを望んだであろう時期までに生きられないことは、Taylorにはright not to dieがあることを認める。

 

判決は、政府に1年以内の法改正と、それを待たずにTaylorが自殺幇助を受けられるよう即時に憲法上の例外を認めた。カナダとBC州政府は上訴。

 

●2013年BC上訴裁判所の判決。3分の2の多数決で2人が反対意見を書いた。

自殺幇助禁止は、ロドリゲス判決と同じく、社会的な危害の重大性への合理的な法的対応とする。(Smithはカーター個人の権利の侵害という文脈で規制が過剰かを問うた)

 

患者が望むよりも早期に自殺を迫られることが生きる権利の侵害かどうか、については、その原因となっているのは法や法による禁止ではなく、患者の生きることの恐怖である。

 

また、Smithが採用した合法した国々のセーフガードのエビデンスはロドリゲス判決を覆すに十分ではない。

 

●2015年カナダ最高裁判決

全員一致で、刑法の自殺幇助の全面禁止はfundamental justiceの原理原則とは相いれない形で憲法のright to lifeを侵害しており、社会的弱者を守るためとしても例外なき全面禁止はoverboadであるとし、上訴を認めた。

 

著者がこの判決で最も大きな問題としているのは、Taylorの病状よりもさらに幅広い患者増を対象に安楽死の合法化を認めてしまったこと。具体的には以下の指摘がされている。

 

Or consider this passage:"For the foregoing reasons, we conclude that the prohibition on physicisan-assisted dying deprived Ms. Taylor and others suffering from grievous and irremediable medical condisions of the right t life, libety and security of the person"(P. 371; emphasis added). The court could have written "and others suffering from ALS and comparable imcapacitation terminal conditions" but clearly intended that its ruling encompass a larger range of ailments. 

(p.40)

 

……the court opted to strike down these laws for a far broader class: namely, any competent consenting adult with a grievous and irremedialbe medical condition that he or she finds intolerable.

(p. 41)

 

次に、今後の議論の拡大の素地を作った、との批判。

 Furthermore, the Supreme Court seems to have adopted as a working princple something akin to the following: if the government's doing or prohibiting somethins is realistically liable to drive a small classes of individuals to suicide, then that government action or prohibition infringes the section 7 right to life.

(p.41)

 

また、対象者の範囲があいまいであり、とりわけ身体的苦痛のみに限定することが明示されておらず精神障害者を対象に含みかねないと、精神科医らから懸念が表明された。

 

同様に「同意」の問題に十分な考慮が行われたと言えるか、教唆と濫用についてSmithと同じくすでに合法化した国々のセーフガードを反証として採用したことへの疑問。

 

重要な指摘として、以下。

……the Supreme Court established at best a negative right to MAID. It manifestly did not establish it as a positive right, with the state thereby obliged to provide it to patients who meet the necessary criteria. Nothing in this ruling obliges provinces to fund assisted death, and nothing implies that the failure to do so would put a province in contravention fo the Canada Health Act's requirement to fund medically necessary servides. 

(p.45)

*ただし、この指摘は、その後のカナダの判例や行政上の動きなどを見ても、実態として誤っている、あるいは甘い、少なくとも著者の希望的法解釈なのでは? MAIDを提供しないと決めたホスピスが公的補助金を引き上げられる訴訟も起こったし、予算措置もされ、その一方で緩和ケアへの予算が削減されているとの情報もある)この判決によって「MAIDは裁判所が合憲と認め、立法府が合法化した、合法な医療サービスであり、個人はそれを利用する権利がある」とみなされてきているのが実態だと思う。

 

これら一連の訴訟に門戸を開いたのは、1972年に自殺未遂が犯罪ではなくなった法改正。 it will surely go down in Canadian histroy as one of the more striking examples of the law of unintended consquences.

(p.45)