天畠大輔『〈弱さ〉を〈強み〉に――突然複数の障がいをもった僕ができること』(岩波新書)

著者についてメモ:14歳時、若年性急性糖尿病で救急搬送された際の処置が悪く、心肺停止から低酸素脳症に。四肢麻痺、発語障害、嚥下障害、視覚障害などがある。

 

 入院して3週間が好きた頃、僕は昏睡状態から目覚めていました。しかし、ラジオの音、医師や看護師の会話、両親の声……周りの状況は理解できても、反応を返すことがまったくできず、両親は「植物状態で、知能は幼児レベルまで低下している」と医師から説明を受けていました。

 あるとき、母が僕におもしろい話をしたら、ピクッと僕の顔が動いたそうです。母は「大輔は理解している」と感じ、脳神経科の医師にこのエピソードを伝えましたが、「考える能力はないから、違います」と冷たく返されてしまいました。そのとき僕は、自分が理解できていることを必死に伝えようとしましたが、身体が動かず、反論できなかったのです。それが悔しく、また、今の自分の状況を説明してもらえるわけでもなく、頭のなかはパニックになっていました。

 最も辛かったのは、痛みを伝えられないことでした。(spitzibara注:寝たきりで臀部の肉が壊死したため、切除手術、つづいて肉を生める2度の手術を受けた際)生身を切り裂かれるような激痛が続き、心拍数が190を超えていたのです。しかし、その泣き叫びたくなる激痛を他者に伝えるすべがありませんでした。

(p.8-9)

 

●施設の問題点について

「コミュニケーションに深さがなかった」ということ。

職員体制として、コミュニケーションに時間をさける余裕がない。

給与が他の職種に比べて低い。

「職員の労働環境がもっと改善させなければ、入所者/利用者にそのしわ寄せがいってしまうのです」(p. 33)

立地。「社会から隔絶され、職員と入所者だけの世界で完結してしまうようにかたどられているようでした」(同)

 

 さまざまな課題もある入所施設ですが、僕は「施設を全面的に廃止したらいい」とは思っていません。施設の方が安心して暮らせるという人は確実に存在しますし、家族との同居や一人暮らしがむずかしいという方はどうしても出てきてしまうからです。

(p. 34)

 

●ボランティアの限界について

 

当事者の側が金銭面以外の面で目に見えにくいコストを払い続けなければならない。

たとえば、ダイボラのメンバーを招いて母親の食事をごちそうする。①減のノートテークに寝坊されても、容認するしかない。

ボランティアの特性として、無責任な行動が生まれやすい。される側が同情を買わないといけない。→ 学生有志の団体として、ルーテル・サポート・サービスを設立。→大学直轄の組織となり、1コマ当たり図書カード500円の報酬。

 

●親への依存

 

「交渉ごとの場面では、特に僕の考え方の理解や、太昭読み取り技術が必要となり、当時そういったコミュニケーション解除を頼めるのは母しかいませんでした」(p. 87)

 

大学キャンパス内の行動はボランティアの介助。大学への送り迎えは両親。

 

自分の身の回りの介助はボランティアに頼んでいる一方、家事等は母親が引き受けていた。

自立生活を始めてしばらくは母親が食事を作って運んでくれていた。家事のやり方も母がボランティアに指示してくれていた。

 

自立生活の持続可能性を考え始めたのも、親からの依存から脱却しない限り、親になにかあったら施設しかないという考えが頭から離れなかったから。

 

●重度訪問介護制度

誰にどんな解除をしてもらうかを当事者が決められる半面、介助者確保や介助者との関係づくりの負担も当事者に負わされる。

報酬単価が低い。長時間勤務が可能な人材を確保することが困難。事業所が手を出しにくい構造になっている。そのため、地方では受けたくても事業所がない。地方では財政難の自治体も多く、一層厳しい。

就学・就労時には利用できない。

 

「(富山に住むALS患者の)村下氏からうかがった地方の現状は驚くものでした。重度障がい者の生活に必須な重度訪問介護を提供する事業所の数は、東京都には2282ある一方、富山は89事業所とその数にはかなりの開きがあります。当然人口も違いますが、その人口比を加味しても、富山には、東京の約半分の事業所数しかありません(2019年度厚生労働省社会福祉施設等調査より)

 さらに問題なのは、実態として重度訪問介護サービスを提供できる事業所がほぼないということです(spitzibara注 新規受け入れができない)」(p. 221)

 

 

●介助者手足論と「自己決定」

 

「介助者手足論はひとつの考え方として理解し、個々の介助者との関係性のなかで、おまかせできるところはおまかせしていく。「介助者手足論」と「おまかせ介助」は、その二つのバランスを常に調整しながら、当事者が舵取りを行っていくものだと思うのです。」(p.140)

 

「僕は何をするにも介助者の手や口を借りる必要があるために、常に介助者との関係性のなかで自己決定をしています。本当はほかにやりたいことがあっても、その日介助に入る介助者によっては諦めざるを得ず別の予定にしたり、本当はもっと違うことが言いたかったのに読み取りがうまくいかず、違う意味で解釈されて話が進んで行ってしまうなどです。僕は日々”妥協”しながら、自己決定をしているとも言えます。

 一見すると僕の自己決定のあり方はとても特殊なように思えますが、本当にそうでしょうか。他者と関わりながら生きていく以上、「健常者」であっても発話が可能な障がい者であっても、基本なみんな同じです。誰もが、自分以外の他者の影響を受け、ときに”妥協”しながら、日々自己決定をしていると言えるのではないでしょうか。」(p. 204)

 

●「プロジェクト型介助論」

「介助者が自分を押し殺してばかりでなく、当事者の設定する目標の達成に寄与する範囲で自分の意見も出すことができ、それを求められる関係性。それは介助の仕事の新たな魅力になると思うのです」(p. 216)

 

 

●「自立」と「依存」

熊谷氏の「依存先の分散」の主張に賛同しつつ、一つの違いは、「僕のような『発話困難な重度身体障がい者』の場合、『キーパーソン』と言える特定の他者が必要という点」(p. 200)

 

「障がいを持ってから長らく母が僕のキーパーソンを担い、父と共同で事業所を立ち上げてからは父がキーパーソンでした。そして独立してからは、その役割は僕の会社のサービス提供責任者が担うようになっていきました」(p. 201)