『かっこいい福祉』村木厚子 今中博之(左右社 2019)

今中……放デイは、小学生や中学生、高校生が対象です。対象年齢が低いこともあって、お稽古ごと感覚になりがち。また、ご家族は子どもの可能性を追い求め、いろいろな種類の放デイにアプローチする。一ヶ所の放デイだけを利用する子どもは限られています。一方、インカーブは18歳以上が対象で、生活の場であり働く場なので、毎日おなじ顔が集まってきます。これはとても大きな違いです。我々は毎日密着して、アーティストの精神状態はもちろんのこと、お父さんが病気だったり、お母さんが旅行で家にいないというようなことを含めて細かく聞き取るわけです。週一のお稽古事はそこまで入り込めないので、インカーブのようなアーティストが生まれる可能性は低いでしょう。インカーブは、長くみっちりやる活動だからこそ成り立っている面があって、短期間での成果を求められると厳しい。(p. 62-63)

 

今中……

 本来は、インカーブのそばに住むところがあるのが理想です。それが何故できないのか。それは、私が「住まう」ということをハンドリングできないからです。その能力に欠けています。くわえて、住むところをサポートするスタッフを集めてこなかった。週に二日夜勤をして、次の日にはアトリエに行く。はたして今と同じようにアーティストと接することができるのか。短期間の対応ならいざ知らず、十年、二十年と続けていけるのか。ある分野の能力は高いが、別の分野の能力がない。インカーブはそんな歪な場所でもあるんです。

村木――私は分業でいいと思っています。利用者の全部を満たしてあげようと思うと、やはり平均的な施設にしかならないので、住むところをサポートする人、就労をサポートする人、老後をサポートする人という風に分ければいい。歴史的に見ても、障がい者は家で閉じ込められて暮らしていたという時代から、入所施設に入って一生ここでユートピアを作るんだという時代になった。そこから地域に出て行き普通に暮らすということを目指すようになった。それでも、親の気持ちとしては、一生居られる場所を見つけたい。自分が死んだあともなんとかしてくれるところを探している。「親がいなくなっても一生見てあげるよ」という、どちらかというと保護型の、アートができなくてもいいけど幸せに平穏に一生暮らしていける施設を見つけたらもう安心という気持ちになるのは理解できる。

 これは日本の福祉の限界で、それ以上のところは望めないと思われているのです。だけど若かったらもうちょっと別の道とか、今は体調がいいからもっと普通に近い暮らしをできるとしたら、チャンスは広がるはずなんですよね。だから今中さんのところがとんがった施設であるというのは本当に良いことで、全てに対してオールマイティになる必要はないと思います。特定のことを得意な施設がある一方で、うちには必ず二四時間スタッフがいるよ、緊急なことがあったらどうぞ、と構えてくれる施設があってもいいわけですよね。(70-72)

 

 

今中――……

 京都大学総長で人類学・霊長類学者の山際寿一さんは、「何の疑いもなく、何か困ったら頼ることができる人、つまり『社会資本』(ソーシャル・キャピタル)のマキシムな数」は「150人」だと述べています。150人というのは、言葉によってつながっているのではなくて、過去に何かを一緒にした記憶によって結びついているといいます。私は、お互いを慮ることのできる150人で「私たちの居場所」であるインカーブを作りました。スタッフは10人。知的に障害のあるアーティストは25人(定員20人。登録人数25人)。アーティストのご家族が合計100人。それにサポーター(外部のデザイナーやプランナー)が15人。会わせて150人です。「私たちの居場所」の中で、「自分が気持ちよくなれる場所」を探し、個々人が自分の役目を見つけ出す。

 人生は良い時ばかりではありません。季節の変わり目は気持ちがザワザワする。会社が倒産した、親友とも別れ、親も失う。もう死んでしまいたい。そうした危機に「何の疑いもなく、何か困ったら頼ることができる人」は誰か。きっと、家族や友人などの面倒くさい小さな人間関係しかないのではないか。直に会って体を合わせ、時間を共にする。相手のことを我がことのように喜び、悲しみ、悔やむ。人は、そのように受け入れられて、生き切ることができるのだと思います。でも、そうした居場所が現代の社会には限りなく少ない。……ならば、身の丈にあった居場所を自ら作る必要がある。欲張らずに「何の疑いもなく、何か困ったら頼ることができる150人」を探し出さなければならない。出会える場所を再生しなくてはならない。(p.98-100)

 

村木――最近、保育士不足の問題について議論すると、「必ずしも資格はいらないんじゃないか」という意見が必ず出てきます。「子育て経験がある人を連れてくればいい」「若い保育士と、子どもを5人育てたお母さんとどっちがいい保育士になれるか」とか。……でも、「保育士さんがやっていること」と「親がやっていること」は違います。「子どもの集団、すなわち社会の中にいる子ども」と「家にいる子ども」は違うし、……福祉にとって、資格が必要な専門性はあると思いますか。

今中――私はスタッフ全員に、国家資格の社会福祉士学芸員を取得するように言っています。……資格は、基本的な専門用語を身につけるために必要だと思います。だからといって、応用が効くものではありません。例えば、野球だったらキャッチボールは基本ですが、それでストライクが取れるものでもない。でも、キャッチボールができないとグラウンドには立てません。私の右腕としてインカーブを支える神谷梢は、アーティストへの経緯の表明として資格を捉えています。「……アートと社会福祉の両輪をバランスよく走らせるために、この二つの資格を、基本的な素養として身につけておきたい」と話します。(p.40-142)