平野啓一郎『ある男』(文春文庫):死刑について

 国家は、この一人の国民の人生の不幸に対して、不作為だった。にも拘らず、国家が、その法秩序からの逸脱を理由に、彼を死刑によって排除し、宛ら(さながら)に、現実があるべき姿をしているかのように取り澄ます態度を、城戸は間違っていると思っていた。立法と行政の失敗を、司法が、逸脱者の存在自体をなかったこと(原文では傍点)にすることで帳消しにする、というのは、欺瞞以外の何ものでもなかった。もしそれが罷り通るなら、国家が堕落すればするほど、荒廃した国民は、ますます日系によって排除されなければならないという悪循環に陥ってしまう。

(p.265-6)

 

「何か、よほどのことがあれば、人を殺してもいいという考え自体を否定することが、殺人という悪をなくすための最低条件だと思う。簡単ではないけど、目指すべきはそっちだろう。犯人のことは決して許さないだろうけど、国家は事件の社会的要因の咎を負うべきで、無実のフリをして、応報感情に阿るのではなくて、被害者支援を充実させることで責任を果たすべきだよ。いずれにせよ、国家が、殺人という悪に対して、同レヴェルまで倫理的に堕落してはいけない、というのが、俺の考えだよ。

(p. 266)