浅田次郎『流人道中記 下』

 内蔵助の腕前などは知らないが、体格や所作から察するに、さほどの達者とは思えない。一方の伝八郎は僧形とは言え、筋骨たくましく眼光も炯々として、ひとたび刀を執ればいかにも遣い手と思える。よってこの際は、伝八郎が内蔵助を斬り、なおかつ僕が伝八郎を斬るという結末が、最もありそうな気がした。

 エイッ、ヤッ、と柄杓を振り回しながら、ふいに僕は「斬る」と「殺す」が同義であると知った。

 人の命を奪うことに変わりはあるまい。だが武士は決して「殺す」とは言わない。まるで「斬る」がどのような場合であれ正当な行為であるかのように。

 たぶん、武士だけが「斬る」ことを許されているのだろう。たとえば、押し込みが主人夫婦を殺したところで「斬った」とは言わないが、武士が夜更けにいわれなく人を殺せば「辻斬り」なのだ。

 伝八郎が内蔵助を殺し、僕が伝八郎を殺す。そんな言い方は武士道にそぐわないが、「殺す」を「斬る」に言い変えたとたんたちまち、武士の道徳に適う、勇ましくも正しい行いのように思えてしまう。

 もしや僕らのうちには、殺人を勲(いさお)しとする野蛮な気風がいまだ生きていて、武士道なるものの正体はそれなのではあるまいか。そう考えれば、やれ仇討だの助太刀だのと殺人を重ねる僕らよりも、銭金目当てに商家に押し入り、口封じに殺人を働く盗ッ人どものほうが、まだましな人間に思えてきた。

(p. 76-77)

9月のNZ国民投票 安楽死法案要件

Under the legislation, there are strict conditions – all of which must be met. They are: 

  • Be 18 years of age or older.
  • Be a citizen or permanent resident of NZ.
  • Suffer from a terminal illness that is likely to end their life within six months.
  • Have significant and ongoing decline in physical capability.
  • Experience unbearable suffering that cannot be eased.
  • Be able to make an informed decision about assisted dying.

Additionally, a person would not be able to choose assisted dying if their reason for the choice is mental illness, nor if their reason is because of a disability, nor if their reason is simply that they’re old. 

 

thespinoff.co.nz

追記 ホスピスの戸惑い

www.stuff.co.nz

ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

 6. プールサイドのあちら側とこちら側

 

 プールサイドのこちら側では、水着姿の中学生たちが肩をこすり合うようにして身体をすぼめて立っていた。人間がすずなりになっている様子を、英語で「缶詰のイワシのような」と表現するが、まさにその絵を思い浮かべてしまうような光景だ。

 他方、プールサイドの向こう側はスペースが有り余っているので、腰を回しながら準備体操をしている生徒や、優雅に脚を延ばして座り、談笑している生徒たちもいた。缶詰のイワシになっているこちら側が庶民サイドなら、向こう側はバケーションを楽しむエスタブリッシュメントという感じだ。それがけっして比喩ではなく、本当に庶民とエスタブリッシュメントの子どもに分離されているのだからアイロニックな笑いの一つも浮かべたくなる。

(p.89-90)

 

 7.  ユニフォーム・ブギ

 

 元底辺中学校の古参教員であるミセス・パープルは、現在の校長の方針に不満を持っているようだった。教育や課外活動のために補助金を使うのではなく、むしろ貧しい子供たちやその家庭を危機から救い、助けるために予算を使うべきだと彼女は考えているのだった。

 だが、教育機関が市の福祉課の仕事を兼任しなくてはならない状況はおかしい。「小さな政府」という言葉を政治について議論する人々はよく使う。が、現実問題として政府があまりに小さくなると、「恵まれない人に同情するならあなたがお金を出しなさい。そうしないのなら見捨てて、そのことに対する罪悪感とともに生きていきなさい」みたいな、福祉までもが自己責任で各自それぞれやりなさいという状況になるのだ。

(p.106)

 

西オーストラリア州 安楽死法詳細

 

議会通過は19年12月

施行は20年6月

 

一般には耐え難い苦痛を引き起こす余命6か月の病気。

進行性の神経系の病気や障害の場合には余命12か月。

 

口頭で2回、文書で1回の申請。

互いに独立の2人の医師の承認による。

 

17年合法化のヴィクトリア州では

患者が自分で摂取できない場合にのみ安楽死が可能。

 

WA州では、患者がいずれかを選択できる。

 

 

Under the scheme, to be eligible a person would have to be terminally ill with a condition that is causing intolerable suffering and is likely to cause death within six months, or 12 months for a neurodegenerative condition.

 

A person would have to make two verbal requests and one written request. Those requests would have to be signed off by two doctors who are independent of each other.

The choice of lethal medication would be a clinical decision from an approved list of drugs.

Self-administration would be the preferred method, but in a departure from the Victorian regime, a patient could choose for a medical practitioner to administer the drug.

In Victoria, a doctor can only administer the drug if a patient is physically incapable.

 

www.abc.net.au

西智弘『がんを抱えて、自分らしく生きたい がんと共に生きた人が緩和ケア医に伝えた10の言葉』

西智弘『がんを抱えて、自分らしく生きたい がんと共に生きた人が緩和ケア医に伝えた10の言葉』(PHP 2019)

 

〇医師と患者の関係を建築住宅販売業者と施主との関係に例え。

「これまでの医療の常識が『医師におまかせ』であった」(p.68)とし、それは建売住宅を買うのに等しいとする。

 

……建築家のことを信用していないから相談したいのではなく、私の価値観とすり合わせて建築家がどんな提案をしてくるかを聞きたいから相談したい。建築家は建築の法律から建材の特徴、そしてその土地の地盤や日光・風なども見極めるプロフェッショナルだ。私は自分の理想とする生活を考えることはできるが、それを実際に自分で建てることはできない。そこはプロの力を大いに利用したい。(p. 69)

 

〇一般社団法人プラスケア(2017年立ち上げ 代表理事西先生)

https://www.kosugipluscare.com/

 

〇コミュニティの運動としての緩和ケア

 もともと緩和ケアはコミュニティから始まった。

 近代ホスピスの発祥の地であるイギリス。そこでは1960年代に終末期患者に質の低いケアしか提供されていないという事実が報告された。そのため、いのちを最後まで支えていく運動、人権運動としてのホスピス運動が起こり、1967年に近代的医学を積極的に導入したホスピスが誕生した。つまり、イギリスにおいてホスピスは単なる建築物ではなく、苦痛を緩和することについての実践と教育の場であり、また地域コミュニティに広がるホスピス運動の拠点でもあった。

 地域には、住民一人ひとりを支えていくため、人と人とのつながりとしてのコミュニティが求められる。生まれてきて、老い、病を得て死んでいくというあらゆるステージに合わせた対応ができる地域コミュニティを育てていくことが、世界のホスピス運動の潮流である。(p. 113)

 

〇日本での安楽死合法化そのものには慎重。

 反対サイドの論点などを懸念として挙げるが、留保は、p.145 小見出し安楽死を望む方々の生を肯定できるか」という箇所。

 

……死への同調圧力によって、避けられるしが発生するリスクがあるのと同様に、限られた時間を生き切ることが絶対的な正義だとする「生への同調圧力」に苦しむ方がいるというのもまた事実だ。(p. 145)

  (安楽死を望む人の理由を個人の考え方の多様性という点から述べて)

 私は、ここで語られる広い意味での苦痛は、緩和ケアという枠組みだけでは解決できないと考えている。身体的な苦痛は完全に取り除けたとしても、また別の苦痛に苦しむ患者は多い。医師によっては、それはうつ病だ、適応障害だ、と診断して治療しようとするかもしれないが、正直なところ医療の出番ではないと思う。緩和的鎮静だって、安楽死の代替えには本質的な意味ではなり得ない。「自然死までの最後の数日間を苦痛を感じないように過ごす」鎮静と、「これから先の人生で苦痛が増えていく時間を無くする」安楽死では、その持っている意味あいが異なるからだ。「鎮静があるから安楽死はいらないだろう」というのは、少なくともすべての方の生を肯定できる回答ではないと思う。

(医療の出番ではない。けれど、安楽死は医療による解決でもあるのでは? むしろ、医療にできることの限界値が緩和的鎮静という考え方もできるのでは?)

 

 西先生の暫定的解決案は、「例えば北海道の山間地などに特区を整備して、そこでは安楽死の実施を法的に認める、という案を考えてみる」(p. 150)

(ひどく性善説の「医療チーム」と、理想形のコミュニティが想定されているが、それが「すべり坂」を回避しつつ実現できるなら、他国でのすべり坂も起きていないはず。)

医療の出番ではない苦痛を、どこまでも医療技術により解決するための妥協案や最善の案を求めるから、こうなって終わるのでは? 医療の外に解決を求める転換が必要)

 

〇生きる力

 重要なことは、病院だろうが在宅だろうが介護施設だろうが、人は「そこにいることで自分の生きる力が失われていくかどうか」を意識して過ごしてはいないということだ。在宅でも、訪問医が患者さんの家に「医療」を色濃く持ち込んで、自宅を「病院化」してしまうことで、生きる力を失わせる例もある。また、安心できる介護施設と思って入居したのに、スタッフから管理される生活を続けることでゆっくりとその生きる力が奪われていくこともある。そういう視点では、環境を大切にしている患者さんや家族はどのくらいいるだろうか。

 患者さんが生きていくための場所は、ひとつでなくてもいい。長年住み慣れた自宅もいいし、介護施設を利用するのもいいし、ときには入院で過ごすのもいいだろう。その場での過ごし方を、他人から強制されるのではなく、自ら自由に選択し、生きていけることが大拙なのだ。そこに居続けることを他人から強制されるなら、それは快適とは言えないのではないか。医療や介護の制度は、時に患者さんの人生を大きく縛ってしまうことがある。なるべく、その縛りをゆるくできるよう、医療福祉関係者だけではなく、地域社会としてどうしていくかをみんなで考えていかなければならない。

(p. 187)

 

 

『かっこいい福祉』村木厚子 今中博之(左右社 2019)

今中……放デイは、小学生や中学生、高校生が対象です。対象年齢が低いこともあって、お稽古ごと感覚になりがち。また、ご家族は子どもの可能性を追い求め、いろいろな種類の放デイにアプローチする。一ヶ所の放デイだけを利用する子どもは限られています。一方、インカーブは18歳以上が対象で、生活の場であり働く場なので、毎日おなじ顔が集まってきます。これはとても大きな違いです。我々は毎日密着して、アーティストの精神状態はもちろんのこと、お父さんが病気だったり、お母さんが旅行で家にいないというようなことを含めて細かく聞き取るわけです。週一のお稽古事はそこまで入り込めないので、インカーブのようなアーティストが生まれる可能性は低いでしょう。インカーブは、長くみっちりやる活動だからこそ成り立っている面があって、短期間での成果を求められると厳しい。(p. 62-63)

 

今中……

 本来は、インカーブのそばに住むところがあるのが理想です。それが何故できないのか。それは、私が「住まう」ということをハンドリングできないからです。その能力に欠けています。くわえて、住むところをサポートするスタッフを集めてこなかった。週に二日夜勤をして、次の日にはアトリエに行く。はたして今と同じようにアーティストと接することができるのか。短期間の対応ならいざ知らず、十年、二十年と続けていけるのか。ある分野の能力は高いが、別の分野の能力がない。インカーブはそんな歪な場所でもあるんです。

村木――私は分業でいいと思っています。利用者の全部を満たしてあげようと思うと、やはり平均的な施設にしかならないので、住むところをサポートする人、就労をサポートする人、老後をサポートする人という風に分ければいい。歴史的に見ても、障がい者は家で閉じ込められて暮らしていたという時代から、入所施設に入って一生ここでユートピアを作るんだという時代になった。そこから地域に出て行き普通に暮らすということを目指すようになった。それでも、親の気持ちとしては、一生居られる場所を見つけたい。自分が死んだあともなんとかしてくれるところを探している。「親がいなくなっても一生見てあげるよ」という、どちらかというと保護型の、アートができなくてもいいけど幸せに平穏に一生暮らしていける施設を見つけたらもう安心という気持ちになるのは理解できる。

 これは日本の福祉の限界で、それ以上のところは望めないと思われているのです。だけど若かったらもうちょっと別の道とか、今は体調がいいからもっと普通に近い暮らしをできるとしたら、チャンスは広がるはずなんですよね。だから今中さんのところがとんがった施設であるというのは本当に良いことで、全てに対してオールマイティになる必要はないと思います。特定のことを得意な施設がある一方で、うちには必ず二四時間スタッフがいるよ、緊急なことがあったらどうぞ、と構えてくれる施設があってもいいわけですよね。(70-72)

 

 

今中――……

 京都大学総長で人類学・霊長類学者の山際寿一さんは、「何の疑いもなく、何か困ったら頼ることができる人、つまり『社会資本』(ソーシャル・キャピタル)のマキシムな数」は「150人」だと述べています。150人というのは、言葉によってつながっているのではなくて、過去に何かを一緒にした記憶によって結びついているといいます。私は、お互いを慮ることのできる150人で「私たちの居場所」であるインカーブを作りました。スタッフは10人。知的に障害のあるアーティストは25人(定員20人。登録人数25人)。アーティストのご家族が合計100人。それにサポーター(外部のデザイナーやプランナー)が15人。会わせて150人です。「私たちの居場所」の中で、「自分が気持ちよくなれる場所」を探し、個々人が自分の役目を見つけ出す。

 人生は良い時ばかりではありません。季節の変わり目は気持ちがザワザワする。会社が倒産した、親友とも別れ、親も失う。もう死んでしまいたい。そうした危機に「何の疑いもなく、何か困ったら頼ることができる人」は誰か。きっと、家族や友人などの面倒くさい小さな人間関係しかないのではないか。直に会って体を合わせ、時間を共にする。相手のことを我がことのように喜び、悲しみ、悔やむ。人は、そのように受け入れられて、生き切ることができるのだと思います。でも、そうした居場所が現代の社会には限りなく少ない。……ならば、身の丈にあった居場所を自ら作る必要がある。欲張らずに「何の疑いもなく、何か困ったら頼ることができる150人」を探し出さなければならない。出会える場所を再生しなくてはならない。(p.98-100)

 

村木――最近、保育士不足の問題について議論すると、「必ずしも資格はいらないんじゃないか」という意見が必ず出てきます。「子育て経験がある人を連れてくればいい」「若い保育士と、子どもを5人育てたお母さんとどっちがいい保育士になれるか」とか。……でも、「保育士さんがやっていること」と「親がやっていること」は違います。「子どもの集団、すなわち社会の中にいる子ども」と「家にいる子ども」は違うし、……福祉にとって、資格が必要な専門性はあると思いますか。

今中――私はスタッフ全員に、国家資格の社会福祉士学芸員を取得するように言っています。……資格は、基本的な専門用語を身につけるために必要だと思います。だからといって、応用が効くものではありません。例えば、野球だったらキャッチボールは基本ですが、それでストライクが取れるものでもない。でも、キャッチボールができないとグラウンドには立てません。私の右腕としてインカーブを支える神谷梢は、アーティストへの経緯の表明として資格を捉えています。「……アートと社会福祉の両輪をバランスよく走らせるために、この二つの資格を、基本的な素養として身につけておきたい」と話します。(p.40-142)