西智弘『がんを抱えて、自分らしく生きたい がんと共に生きた人が緩和ケア医に伝えた10の言葉』

西智弘『がんを抱えて、自分らしく生きたい がんと共に生きた人が緩和ケア医に伝えた10の言葉』(PHP 2019)

 

〇医師と患者の関係を建築住宅販売業者と施主との関係に例え。

「これまでの医療の常識が『医師におまかせ』であった」(p.68)とし、それは建売住宅を買うのに等しいとする。

 

……建築家のことを信用していないから相談したいのではなく、私の価値観とすり合わせて建築家がどんな提案をしてくるかを聞きたいから相談したい。建築家は建築の法律から建材の特徴、そしてその土地の地盤や日光・風なども見極めるプロフェッショナルだ。私は自分の理想とする生活を考えることはできるが、それを実際に自分で建てることはできない。そこはプロの力を大いに利用したい。(p. 69)

 

〇一般社団法人プラスケア(2017年立ち上げ 代表理事西先生)

https://www.kosugipluscare.com/

 

〇コミュニティの運動としての緩和ケア

 もともと緩和ケアはコミュニティから始まった。

 近代ホスピスの発祥の地であるイギリス。そこでは1960年代に終末期患者に質の低いケアしか提供されていないという事実が報告された。そのため、いのちを最後まで支えていく運動、人権運動としてのホスピス運動が起こり、1967年に近代的医学を積極的に導入したホスピスが誕生した。つまり、イギリスにおいてホスピスは単なる建築物ではなく、苦痛を緩和することについての実践と教育の場であり、また地域コミュニティに広がるホスピス運動の拠点でもあった。

 地域には、住民一人ひとりを支えていくため、人と人とのつながりとしてのコミュニティが求められる。生まれてきて、老い、病を得て死んでいくというあらゆるステージに合わせた対応ができる地域コミュニティを育てていくことが、世界のホスピス運動の潮流である。(p. 113)

 

〇日本での安楽死合法化そのものには慎重。

 反対サイドの論点などを懸念として挙げるが、留保は、p.145 小見出し安楽死を望む方々の生を肯定できるか」という箇所。

 

……死への同調圧力によって、避けられるしが発生するリスクがあるのと同様に、限られた時間を生き切ることが絶対的な正義だとする「生への同調圧力」に苦しむ方がいるというのもまた事実だ。(p. 145)

  (安楽死を望む人の理由を個人の考え方の多様性という点から述べて)

 私は、ここで語られる広い意味での苦痛は、緩和ケアという枠組みだけでは解決できないと考えている。身体的な苦痛は完全に取り除けたとしても、また別の苦痛に苦しむ患者は多い。医師によっては、それはうつ病だ、適応障害だ、と診断して治療しようとするかもしれないが、正直なところ医療の出番ではないと思う。緩和的鎮静だって、安楽死の代替えには本質的な意味ではなり得ない。「自然死までの最後の数日間を苦痛を感じないように過ごす」鎮静と、「これから先の人生で苦痛が増えていく時間を無くする」安楽死では、その持っている意味あいが異なるからだ。「鎮静があるから安楽死はいらないだろう」というのは、少なくともすべての方の生を肯定できる回答ではないと思う。

(医療の出番ではない。けれど、安楽死は医療による解決でもあるのでは? むしろ、医療にできることの限界値が緩和的鎮静という考え方もできるのでは?)

 

 西先生の暫定的解決案は、「例えば北海道の山間地などに特区を整備して、そこでは安楽死の実施を法的に認める、という案を考えてみる」(p. 150)

(ひどく性善説の「医療チーム」と、理想形のコミュニティが想定されているが、それが「すべり坂」を回避しつつ実現できるなら、他国でのすべり坂も起きていないはず。)

医療の出番ではない苦痛を、どこまでも医療技術により解決するための妥協案や最善の案を求めるから、こうなって終わるのでは? 医療の外に解決を求める転換が必要)

 

〇生きる力

 重要なことは、病院だろうが在宅だろうが介護施設だろうが、人は「そこにいることで自分の生きる力が失われていくかどうか」を意識して過ごしてはいないということだ。在宅でも、訪問医が患者さんの家に「医療」を色濃く持ち込んで、自宅を「病院化」してしまうことで、生きる力を失わせる例もある。また、安心できる介護施設と思って入居したのに、スタッフから管理される生活を続けることでゆっくりとその生きる力が奪われていくこともある。そういう視点では、環境を大切にしている患者さんや家族はどのくらいいるだろうか。

 患者さんが生きていくための場所は、ひとつでなくてもいい。長年住み慣れた自宅もいいし、介護施設を利用するのもいいし、ときには入院で過ごすのもいいだろう。その場での過ごし方を、他人から強制されるのではなく、自ら自由に選択し、生きていけることが大拙なのだ。そこに居続けることを他人から強制されるなら、それは快適とは言えないのではないか。医療や介護の制度は、時に患者さんの人生を大きく縛ってしまうことがある。なるべく、その縛りをゆるくできるよう、医療福祉関係者だけではなく、地域社会としてどうしていくかをみんなで考えていかなければならない。

(p. 187)