伊藤昌亮『炎上社会を考える 自粛警察からキャンセルカルチャーまで』中公新書ラクレ

……したがってそれ(spitzibara注:新自由主義)は、経済政策としての考え方よりも、むしろ社会規範としての振る舞い方を意味するものだ。そこでは評価のための競争が絶えず繰り広げられ、監視のもとでの制裁が絶えず繰り出されることになる。

 実はそうした一面が、炎上社会の重要な構成要素となっているのではないだろうか。つまり炎上という現象は、単純差左右対立の構図からストレートに生じるものでは必ずしもなく、新自由主義というもう一つの立場がそこに組み込まれることで、加速されていくという一面を持つものなのではないだろうか。

(p. 8-9)

 

 コロナ禍での自粛警察について

 

 つまりそこには、一方では感染防止に向けた総動員体制を強化し、そのための相互監視を徹底させるという、戦時下の全体主義的な思考に通じるような論理があり、他方では感染リスクの回避のためにコンプライアンス違反を告発し、厳罰に処するという、二十世紀末以来の新自由主義的な思考に基づくような論理がある。

(p.31)