吉田修一『パレード』

各章で順番に語られる物語の登場人物は、同じシェアハウスで暮らす若者たち5人。

 

 いつだったか、「ここでの暮らしって、私にとってはインターネット上でチャットしているようなもんなのよ」と、琴が言ったことがある。その時は、また訳の分からないことを言い出したと相手にもしなかったが、言われてみれば、たしかにそんな感じがしないでもない。……

 ただ、チャットルームには基本的権利として匿名性が与えられる。が、ここにはない。本人どころか、親の名前まで知っている。この匿名性という魔物……、世間では一般に、この匿名であるということで、人間は本性を曝け出すようになると信じられている。でも、本当にそうだろうか。もしも私が匿名で何かをできるとしたら、私は決して本当の自分など曝け出さず、逆に、誇張に誇張を重ねた偽物の自分を演出するだろうと思う。……

 もしかすると、琴が言いたかったのは、まさにこれだったのかもしれない。ここでうまく暮らしていくには、ここに一番ぴったりと適応できそうな自分を、自分で演じていくしかない。そしておそらく、ここではシリアスな演技は求められない。もしもシリアスな演技がしたければ、ここを出て、それこそ文学座か、劇団「円」辺りにいくしかない。

(p.129-130)