飯島裕子『ルポ コロナ禍で追い詰められる女性たち 深まる孤立と貧困』(光文社新書)

 非正規就業者を増やすことにより女性活躍推進を取り繕ってきた対人サービス業。その二大業種である「サービス業」はコロナ禍で大打撃を受け、「医療・福祉」は最前線での困難を余儀なくされている。女性活躍推進の後ろで見えなくされてきたさまざまな矛盾がコロナ禍で露呈したと言えるのではないだろうか。

(p. 19)

 

 POSSE事務局長の渡辺寛人さんは話す。

 シングルマザーや親を介護中の人など、家族のケアを担っており、フルタイムの仕事ができず、短時間パートで働いている人がいる。年金だけでは生活が成り立たずパートで補っている高齢者や病気や障害がありフルタイムで働けない人、一か所の収入だけでは足らず、複数の仕事を掛け持ちする人など、非正規で働く人の中にはさまざまな事情を抱えた人が少なくない。

 ……短時間勤務だからといって家計補助的に働いているとは限らず、それがないと生活できない、欠くべからざる収入である場合が増えている。コロナ禍は既にギリギリの状態で生活してきた最も脆弱な層を襲ったのだった。

(p. 22-3)

 

 とりわけワンオペ育児を余儀なくされるシングルマザーへの経済的、精神的影響は甚大であり、困難な状況は今も続いている。しんぐるまざあず・ふぉーらむはシングルマザーに対する調査を続けているが、コロナ禍で、学校休校による自主休業や勤務先の休業、解雇等により、収入が減少した人が7割、うち2人に1人は収入が半減したと回答している。また3割が自主的な休業や退職を余儀なくされ、その傾向は非正規雇用において顕著であることもわかった。

 また、学校休校のインパクトが大きいため見えづらくなっているが、育児のみならず、介護のため、給食に追い込まれた人も少なくない。高齢者はコロナによる重症化リスクが高いことから訪問介護を断り、自宅で看ることを選ぶ人や、施設が密になることを避けるためと在宅での介護を打診されるなど、介護負担は増大し、その多くは女性たちの肩にのしかかった。

 夫が在宅勤務、子どもが休校で食事を三食用意することがしんどかった等、家事負担を強いられる女性たちからの声もあがっている。コロナウイルスの影響により、さまざまな局面で女性のケア負担がこれまでにないほど高まっているということができるだろう。

(p.24-5)

 

 20年4月、国連のグレーテス事務総長はコロナ禍において女性に困難が集中していると警鐘を鳴らし、各国政府に対して、女性と女児をコロナ対応の中心に据えるよう要請。またコロナが与えるもう一つの致命的な危機として、女性に対する暴力をあげ、可視化されづらい、”シャドーパンデミック”が拡大しているとして、各国の政府への早急な対応を求めた。

(p. 27)

 

「コロナ禍で女性に異変が起きている」という認識が広く共有され始めた背景には、このところの女性自殺率の急増があるだろう。コロナ禍における自殺率の推移をみると20年1月~6月の自殺者数は昨年と比較して減少していたが、男女とも7月から5か月連続で増加。中でも女性の自殺率が急増しており、対前年同月比で10月には91%にまで増加した。

 通常、男性は女性に比べ自殺者数が2~3割程度多く、現在も男性自殺者数が女性を上回っている状況は変わっていない。しかし男性に比べて女性自殺率が急増していることは大きな衝撃をもって受け止められた。……女性自殺者比率が9割増加した10月の職業別統計を見ると「無職者」が増加しており、さらにその内訳は「年金・雇用保険等生活者」が最多であることも明らかになっていることから、経済的困窮が影響を及ぼしていることが考えられる。

(p.28)

 

 コロナ禍における仕事への影響は深刻で、生活に困窮している母子世帯が増えている。……

 母親が働けない、家族の世話ができないため、ヤングケアラーとして幼い弟妹の面倒を見ているケースも増えているという。子どももまた困難な状況を誰にも相談できず、孤立してしまう。

(p. 48)

 

……シングルマザーの経済的困難はコロナ禍以前から突出しており、吹けば飛ぶような脆弱な基盤しか持ち合わせていなかった。とりわけコロナ禍では、解雇や雇止めが非正規女性に集中していたこと、学校休校やステイホームの影響でケア役割が増大したこと、家計の経済的負担が増えたことなど、母子世帯はダブルパンチ、トリプルパンチに見舞われている。

(p.53-4)

 

 婦人保護事業は、各都道府県に設置義務がある婦人相談所とそれに併設された一時保護所、長期的に滞在できる婦人保護施設等からなる。

 婦人保護事業の根拠となっているのは、戦後、貧困のために売春する女性が増えたことにより、1956年に制定された売春防止法だ。この法律では「売る側」ばかりが罰せられ、「買う側」が処罰の対象にならないなど、問題とされる点は多いのだが、その目的は「売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護厚生の措置を講ずること」であった。さらに同法第4章では、婦人相談所等は「売春を行うおそれのある女子(=要保護女子)の保護のために設置されるものであるとしている。しかし婦人保護事業が開始された当初から「売春の恐れがある女性」が相談に訪れるケースは少なく、家庭内暴力、生活困窮、障害などを理由に居場所を失った女性たちが利用するほうが圧倒的に多かった。だが、その運用が見直されることはなかった。

 そんな婦人保護事業に過渡期が訪れる。2001年、「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律」(DV防止法)が成立。「要保護女子」のために利用されてきた婦人保護事業を転用する形で婦人相談所の一時保護所や婦人保護施設がDV被害者によって利用されるようになったのだ。次第に婦人保護事業はDV被害者優先となり、DV以外の問題を抱えた女性たちが支援にたどり着きにくいといった問題が生じるようになった。

 DV防止法の範疇に収まらない女性たち、たとえば生活に困窮し家を失った未婚女性などは、昭和から平成、令和になった現在でも、売春防止法に基づき、「放置しておくと売春の恐れがある要保護女子」を拡大解釈する形でしか、婦人保護事業を利用することはできない。あまりに女性差別的であり、時代錯誤も甚だしいのだが、婦人保護事業が始まって60年以上経った現在も手がつけられることなく放置されてきたことに批判が集まっていた。

 女性からのニーズも多様化しており……

 こうした状況を受け、厚生労働省は「困難な問題を抱える女性への支援のあり方に関する検討会」を発足させ、2019年10月に「中間まとめ」を発表した。ここでは、対象女性を「要保護女子」としてではなく、人権擁護や男女平等の観点から「様々な困難な問題に直面している女性」とすることや、「保護厚生」の根拠となっている売春防止法第4条の廃止、また保護だけでなく、その後自立するための支援を行うこと、困難を抱える女性を包括的に支える「女性自立支援法」を新たに制定する必要性についても言及されている。

 コロナ禍で困難に直面する女性は複合的な問題を抱えている人が少なくないが、その問題の一部は女性であることによる不利益や差別によって引き起こされていることも忘れてはならない。

(p. 99-101)

 

 2021年4月、看護師の日雇い派遣が解禁されることになった。介護施設では看護師確保が困難な状態であること、職を離れている「潜在看護師」を活用することなどが理由として挙げられている。日雇い派遣が認められているのはすでに看護師派遣が認められている老人介護施設等で、一部施設に限定的ではあるものの、病院等へも拡大していく可能性もある。

 ……

……今現場で働く看護師の労働条件を省みることなく、仕事を細切れにして派遣で穴を埋めるというやり方は果たして正しいのか?

(p.113)

 

 コロナ禍以前から介護現場は慢性的な人手不足が続いていた。特に訪問介護ヘルパーの平均年齢は60歳近く、リスクを考え、職場を去る人も少なくなかったという。学校休校で子どもの世話があって働けない人や、帰国したまま戻ってこられない外国人ヘルパーもいた。

……

 しかしこうした状況の中、厚生労働省は、利用者に発熱などの症状がある場合でも、感染対策を徹底した上でサービスを続けるようにと通達した。しかし、一人の高齢者の自宅に複数の事業所からヘルパーが派遣されているケースも多く、その中の一人がコロナに感染すれば、クラスター化する恐れがある。濃厚接触者となったほかのヘルパーも全員休業せざるを得なくなり、人手不足に拍車がかかり、介護崩壊が広がっていく。

(p/ 117)

 

 2020年に倒産した介護事業所は118カ所。自主的に休業や廃業をした介護事業所は455カ所にのぼっており、いずれも過去最多の値となった(東京商工リサーチ調べ)。利用控えによる影響や感染予防対策への費用負担などから経営困難に陥る施設に加え、仕事はあるが離職者が多く、スタッフが集まらないため、廃業に追い込まれた施設もあるという。

(p. 121-2)

 

 ……男女差については、独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)によるデータがある。2020年5月時点で、週1日以上在宅勤務を実施した人は全体の28%、男性の34%、女性の20%であった。一般的に育児、介護など家庭内のケア負担が多い女性の方がテレワークの需要が高いと考えられがちだが、現実はその逆となっている。女性のテレワーク率が低い背景には前述してきたように女性のエッセンシャルワーカーや非正規雇用者が多いことがあるだろう。

(p.161-2)

 

 日本では現在働く人の約4割、働く女性の6割近くが非正規として働いている。

(p.167)

 

 ジョブ型雇用:労働時間ではなく、定められた職務に対して評価を行う。テレワークと相性が良い一方で、成果主義の温床となりやすい。

 

 厚生労働省指定法人「いのち支える自殺対策推進センター」は2020年7月以降自殺者数が急増している譲許を受け、10月21日に緊急レポート「コロナ禍における自殺の動向に関する分析」を公表した。レポートではコロナ禍の自殺同行は例年と明らかに異なっており、女性の自殺があらゆる年代で増加傾向にあることなどが指摘されている。また「性別と同居人の有無」「性別と職の有無」についても分析。「同居人がいる女性」と「無職の女性」が全体の自殺死亡率を増加させていることを明らかにした。

(p.187)

 

……20~64歳の単身女性(ひとり暮らし)の貧困率は24.5%と4人に一人が貧困だが、65歳以上になると46.1%と約2人に一人が貧困という状態にまで跳ね上がる。2015年国税調査によれば、高齢でひとり暮らしをしているのは、男性約190万人、女性約400万人。すなわち約200万人の高齢おひとりさま女性が貧困状態ということになる。……彼女たちの貧困は今に始まったことではない。しかし少ない年金でつつましく生活している人が多いためか、その苦境が表に出ることはほとんどなかった。

(p. 210)

 

 コロナ禍の女性への影響を鑑み、政府は専門家らによる「コロナ下の女性への影響と課題に関する研究会」と早期に立ち上げている。……少子化対策と直結しやすい若年女性や子育て期の女性が政策の中心であり、就職氷河期世代を含めた中高年齢層は蚊帳の外に置かれていることは否めない。

(p. 220)

 

●著者がコロナで露わになったと考えていること、大きく3つ。

1つ目 女性の貧困:……ずっと以前から存在していた。崩壊寸前のところで踏みとどまってきたのだが、そこにコロナ禍が遅い、困難がより顕在化されたにすぎない。

「男性稼ぎ主モデル」の崩壊も要因。

2つ目 「女性活躍のウソ」

増えたのは非正規雇用。いまなお女性非正規は雇用の調整弁扱い。

3つ目 「仕事の分断と格差」

テレワークやジョブ型雇用など、コロナ下で誕生した新らたな働き方には懸念。

猪瀬浩平『分解者たち 見沼田んぼのほとりを生きる』

 周辺地域に開発の波が襲うなか、見沼田んぼは1965年に埼玉県によって開発が規制された。その結果、これまで開発計画も何度も持ち上がったが、県による開発規制と農地法・農業振興法・都市計画法・河川法の規制、そして県民による開発反対運動によって、農的緑地空間としてのあり様を大部分において留めている。

 一方、見沼田んぼの周りの地域は、首都圏の一部として開発され、多くのことが変わっていった。多くの人がそこに住むようになり、住宅やその生活を支える施設が作られるようになった。田んぼや畑は宅地に変わり、あちこちで建築作業が行われ、砂埃が舞うようになった。鶏や、生きものの声は響かなくなった。多くのものが、多くの人間の暮らす空間から離れた、なかなか目につかないところに追いやられていった。たとえばそれはごみであり、排泄物であり、遺体であり、障害者であり、鶏や乳牛などの家畜、様々な生きものであり、そして農的営みそれ自体であった。

 開発を規制された見沼田んぼは首都圏開発の周縁であり、そこには首都圏の中心部では居場所を失ったものたちが押し寄せた。それは例えば、下水処理施設であり、ごみ焼却場だった。火葬場が計画されたこともある。なかには、時間が経過していくうちに次第に風景に溶け込んでいくものもあった。たとえば、見沼田んぼ北西部にある市民の森・見沼グリーンセンターは、おともと大宮市のごみ収集場所だった。大量に捨てられるごみは埋め立てられ、そこに木々が植えられ、そして「市民の憩いの森」として整備された。

 私に見沼田んぼをただ美しい農村景観として描くのを躊躇わせるのは、首都圏/東京という歪に肥大化した身体の肛門から排出されたものたちである。

 そして、私が見沼田んぼに惹きつけられるのは、それらの存在があるからだ。排出されたものたちが、思わぬ形で出会い、ぶつかり、交わる、すれ違う。そこでものとものとが交わり、熱が生まれる。

(p. 28-9)

 

 良太氏の介助者の集いに参加したことがある。そのなかで、もっとも印象に残ったのは介助者の山口裕二さんの話だった。

 良太氏と彼が、共同住宅から買い物にいったその帰り道、突然良太氏が大きな声を出しはじめた。その日は山口さんも大きな声を出したい気分だったそうで、彼も大きな声を出して追随した。すると、それにつられて、後ろを歩いていた三人組の男子中学生が大きな声を出した。さらに、前から来た女子中学生も大きな声を出しはじめ……という感じで、最終的に十数人で大きな声を出し、そして最後、山口さんが「じゃあな、みんな!」と手をふってさわやかに中学生たちと別れた。二度と再現できないであろう、路上のロックな瞬間だった、と山口さんは語った。

(p. 88-9)

 

 東京の郊外としての埼玉に移住してきた「意識」ある市民によって始まった「障害者運動」は、彼ら自身を埼玉に移住させた農業の近代化、農村の開発という波が、彼らの支援の対象である「障害者」を生み出していることに気づく。その気づきのなかで、彼らの運動は障害のある人の自己決定や自立生活を求める運動と一線を画していった。そして社会を劇的に変化させるのではなく、差別をも含みこんだ多層的な関係を日々の暮らしと交わりのなかで、編みなおしていくという思想を手に入れていった。それはまた、今、暮らしと仕事、学びの現場において様々に分断されようとする私たちが、それでも様々な存在と手をつなぎ続けるための知恵を示している。

(p. 212)

 

 朝鮮学校から芝川を下っていけば、福祉農園がある。焼肉交流会のなかで挨拶をする機会をいただき、これから夏草が生えてくるので、是非草取りに来て欲しいと私は語った。大切なことは、夏草の間にある。お互いの歴史に向かうこと、対話を続けること、その人間同士の関係だけでなく、ともに気にかける土地をもつこと、ともに時間を過ごす大地のあることに、私は未来へのかすかな希望を抱く。

 時間をじっくりかけながら、すれ違い続けた歴史を分解する。そのことを、私たちは見沼田んぼで続ける。

(p. 349)

 

・・・津久井やまゆり園で起きた事件について私が書いた文章に目を止めてくれた高橋さんは、雑誌『支援』の編集委員の人々と一緒に福祉農園にやってきた。私が寄稿した『支援』の7号の編集後記で、私は高橋さんの兄が障害をもち、福島県西郷村の施設で暮らしていることを知った。津久井やまゆり園で起きた事件をめぐる人々の反応と、2010年の原発事故をめぐる人々の反応を重ね合わせた高橋さんの文章は私の心を揺さぶった。それとともに、施設で暮らす家族がいることを想像したこともなかった私は、高橋さんとの出会いで施設に家族が暮らすということはどういうことなのかを考えるようになった。やがて高橋さんは彼の子どもたちと一緒に福祉農園にやってくるようになり、彼の長女は私の長女と友達になった。それと相前後して、この本の企画がはじまり、やがて森田さんも合流しながら、この本は厚みをもっていった。

(p. 394)

 

 

天畠大輔『〈弱さ〉を〈強み〉に――突然複数の障がいをもった僕ができること』(岩波新書)

著者についてメモ:14歳時、若年性急性糖尿病で救急搬送された際の処置が悪く、心肺停止から低酸素脳症に。四肢麻痺、発語障害、嚥下障害、視覚障害などがある。

 

 入院して3週間が好きた頃、僕は昏睡状態から目覚めていました。しかし、ラジオの音、医師や看護師の会話、両親の声……周りの状況は理解できても、反応を返すことがまったくできず、両親は「植物状態で、知能は幼児レベルまで低下している」と医師から説明を受けていました。

 あるとき、母が僕におもしろい話をしたら、ピクッと僕の顔が動いたそうです。母は「大輔は理解している」と感じ、脳神経科の医師にこのエピソードを伝えましたが、「考える能力はないから、違います」と冷たく返されてしまいました。そのとき僕は、自分が理解できていることを必死に伝えようとしましたが、身体が動かず、反論できなかったのです。それが悔しく、また、今の自分の状況を説明してもらえるわけでもなく、頭のなかはパニックになっていました。

 最も辛かったのは、痛みを伝えられないことでした。(spitzibara注:寝たきりで臀部の肉が壊死したため、切除手術、つづいて肉を生める2度の手術を受けた際)生身を切り裂かれるような激痛が続き、心拍数が190を超えていたのです。しかし、その泣き叫びたくなる激痛を他者に伝えるすべがありませんでした。

(p.8-9)

 

●施設の問題点について

「コミュニケーションに深さがなかった」ということ。

職員体制として、コミュニケーションに時間をさける余裕がない。

給与が他の職種に比べて低い。

「職員の労働環境がもっと改善させなければ、入所者/利用者にそのしわ寄せがいってしまうのです」(p. 33)

立地。「社会から隔絶され、職員と入所者だけの世界で完結してしまうようにかたどられているようでした」(同)

 

 さまざまな課題もある入所施設ですが、僕は「施設を全面的に廃止したらいい」とは思っていません。施設の方が安心して暮らせるという人は確実に存在しますし、家族との同居や一人暮らしがむずかしいという方はどうしても出てきてしまうからです。

(p. 34)

 

●ボランティアの限界について

 

当事者の側が金銭面以外の面で目に見えにくいコストを払い続けなければならない。

たとえば、ダイボラのメンバーを招いて母親の食事をごちそうする。①減のノートテークに寝坊されても、容認するしかない。

ボランティアの特性として、無責任な行動が生まれやすい。される側が同情を買わないといけない。→ 学生有志の団体として、ルーテル・サポート・サービスを設立。→大学直轄の組織となり、1コマ当たり図書カード500円の報酬。

 

●親への依存

 

「交渉ごとの場面では、特に僕の考え方の理解や、太昭読み取り技術が必要となり、当時そういったコミュニケーション解除を頼めるのは母しかいませんでした」(p. 87)

 

大学キャンパス内の行動はボランティアの介助。大学への送り迎えは両親。

 

自分の身の回りの介助はボランティアに頼んでいる一方、家事等は母親が引き受けていた。

自立生活を始めてしばらくは母親が食事を作って運んでくれていた。家事のやり方も母がボランティアに指示してくれていた。

 

自立生活の持続可能性を考え始めたのも、親からの依存から脱却しない限り、親になにかあったら施設しかないという考えが頭から離れなかったから。

 

●重度訪問介護制度

誰にどんな解除をしてもらうかを当事者が決められる半面、介助者確保や介助者との関係づくりの負担も当事者に負わされる。

報酬単価が低い。長時間勤務が可能な人材を確保することが困難。事業所が手を出しにくい構造になっている。そのため、地方では受けたくても事業所がない。地方では財政難の自治体も多く、一層厳しい。

就学・就労時には利用できない。

 

「(富山に住むALS患者の)村下氏からうかがった地方の現状は驚くものでした。重度障がい者の生活に必須な重度訪問介護を提供する事業所の数は、東京都には2282ある一方、富山は89事業所とその数にはかなりの開きがあります。当然人口も違いますが、その人口比を加味しても、富山には、東京の約半分の事業所数しかありません(2019年度厚生労働省社会福祉施設等調査より)

 さらに問題なのは、実態として重度訪問介護サービスを提供できる事業所がほぼないということです(spitzibara注 新規受け入れができない)」(p. 221)

 

 

●介助者手足論と「自己決定」

 

「介助者手足論はひとつの考え方として理解し、個々の介助者との関係性のなかで、おまかせできるところはおまかせしていく。「介助者手足論」と「おまかせ介助」は、その二つのバランスを常に調整しながら、当事者が舵取りを行っていくものだと思うのです。」(p.140)

 

「僕は何をするにも介助者の手や口を借りる必要があるために、常に介助者との関係性のなかで自己決定をしています。本当はほかにやりたいことがあっても、その日介助に入る介助者によっては諦めざるを得ず別の予定にしたり、本当はもっと違うことが言いたかったのに読み取りがうまくいかず、違う意味で解釈されて話が進んで行ってしまうなどです。僕は日々”妥協”しながら、自己決定をしているとも言えます。

 一見すると僕の自己決定のあり方はとても特殊なように思えますが、本当にそうでしょうか。他者と関わりながら生きていく以上、「健常者」であっても発話が可能な障がい者であっても、基本なみんな同じです。誰もが、自分以外の他者の影響を受け、ときに”妥協”しながら、日々自己決定をしていると言えるのではないでしょうか。」(p. 204)

 

●「プロジェクト型介助論」

「介助者が自分を押し殺してばかりでなく、当事者の設定する目標の達成に寄与する範囲で自分の意見も出すことができ、それを求められる関係性。それは介助の仕事の新たな魅力になると思うのです」(p. 216)

 

 

●「自立」と「依存」

熊谷氏の「依存先の分散」の主張に賛同しつつ、一つの違いは、「僕のような『発話困難な重度身体障がい者』の場合、『キーパーソン』と言える特定の他者が必要という点」(p. 200)

 

「障がいを持ってから長らく母が僕のキーパーソンを担い、父と共同で事業所を立ち上げてからは父がキーパーソンでした。そして独立してからは、その役割は僕の会社のサービス提供責任者が担うようになっていきました」(p. 201)

 

 

Dumsday "ASSISTED SUICIDE IN CANADA" Chapter 1  カーター訴訟

Carter訴訟について、リアルタイムで情報を拾ったブログ記事はこちら ↓

 

カナダBC州最高裁からPAS禁止に違憲判決(2012/6/18)

https://spitzibara.hatenablog.com/entry/65229594

 

2012年8月17日の補遺

https://spitzibara.hatenablog.com/entry/65455611

カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州のALS患者Taylorさんの自殺幇助訴訟で、中央政府の上訴審で上訴裁判所が先の判決を支持。Taylorさんに1年の猶予の後にPAS認める。 http://cnews.canoe.ca/CNEWS/Canada/2012/08/10/20091501.html http://www.theglobeandmail.com/news/british-columbia/court-upholds-bc-womans-exemption-from-doctor-assisted-suicide-ban/article4474112/

 

自殺幇助の権利勝ち取ったばかりのALS患者Taylorさん、感染症で急死(加)(2012/10/6)

https://spitzibara.hatenablog.com/entry/65670138

 

ブログで拾いきれていなかったらしいのだけど、この本によると、

この間の2013年にBC上訴裁判がいったん最高裁のSmith判決を覆している。

12年8月の報道との関係がよくわからない。

 

カナダ最高裁、判事の全員一致でPAS禁止を覆す(2015/2/7) https://spitzibara2.hateblo.jp/entry/64483294

 

Dumsdayの本では、

その点の解説が見当たらない(見落としているのかも)のだけど、

上記のようにもともとはTaylorが中心となって数人で起こした集団訴訟なので

Taylor訴訟と呼ばれていたものが、彼女が途上で亡くなったために、

その遺志を継いで訴訟を続けた Carterの名前がついている。

 

以下、本書からのメモ。

 

●原告は5人。

ALS患者のGloria Taylorさん。

自殺幇助を禁じる刑法の規定が、憲法で認められた彼女のrights to liberty and security of the person を侵害してるのみならず、自殺しようと思えば、自分でそうした行為が身体的に可能なうちにするしかなく、まだ死期に至っていないうち自殺を強いられるのは、彼女のright to lifeも侵害している、また健常者の場合に可能な自殺が違法行為ではないことに照らせば、憲法のequality rights を侵害し、principles of fundamental justiceにそぐわない、と主張。

 

Lee CarterとHollis Johnson。

2人は、Kay Caterの実の母親と義理の母親で、Kayを自殺幇助のためにスイスに連れていくことによって起訴される危険があることが、自分たちのright to libertyを侵している、と主張。

 

そして、医師のWilliam Shoicetとthe BC Liberties Association。

(spitzibara注:カナダのほかにもいくつかの国でこうした訴訟は相次いでいるけれど、

安楽死を望む患者と安楽死推進の立場の医師、あるいは推進ロビーが一緒になって起こす、

というパターンがよく見られ、合法化に向けたうねりを作ってきた)

 

●2012年のBC州最高裁、Smith判事の判決。

ロドリゲス判決の時から社会的にも法的にも状況が変わっており、自分の身体への自律は道徳的権利とみなされるようになっていること、この間にオレゴン、ワシントン、ベルギー、オランダなど合法化している国々からのデータやエビデンスが出そろってきたことなどを指摘。

 

自殺幇助の全面的禁止は overly broad であり、grossly disporoportionateである。

 

早期に自殺する以外にないことが生命への権利を侵害しているか、はロドリゲス訴訟にはなかった争点。国側は、障害が進行しても自発的飲食停止により自殺は可能なので、刑法の当該条項によって障害者が禁じられているのは特定の自殺方法に過ぎない、と主張。また、自殺未遂が違法でなくなったからといって、自殺する権利があるということにはならない、とも。

Smithは、自殺する権利があるか否かに関わらず、 a right to physical integrity and autonomous decision making with respect to important aspect of an indivisual's life, indluding aspects erteining to medical inbervension はあるだろう、と。

 

反駁に対して、Taylorのような状況にある者にとって問題となるのは身体の統合性についての単なる自律ではなく、苦痛から自分を解放するための自律だ、とSmith.

 

right to lifeについても、自殺幇助の法的禁止がなければ生きることを望んだであろう時期までに生きられないことは、Taylorにはright not to dieがあることを認める。

 

判決は、政府に1年以内の法改正と、それを待たずにTaylorが自殺幇助を受けられるよう即時に憲法上の例外を認めた。カナダとBC州政府は上訴。

 

●2013年BC上訴裁判所の判決。3分の2の多数決で2人が反対意見を書いた。

自殺幇助禁止は、ロドリゲス判決と同じく、社会的な危害の重大性への合理的な法的対応とする。(Smithはカーター個人の権利の侵害という文脈で規制が過剰かを問うた)

 

患者が望むよりも早期に自殺を迫られることが生きる権利の侵害かどうか、については、その原因となっているのは法や法による禁止ではなく、患者の生きることの恐怖である。

 

また、Smithが採用した合法した国々のセーフガードのエビデンスはロドリゲス判決を覆すに十分ではない。

 

●2015年カナダ最高裁判決

全員一致で、刑法の自殺幇助の全面禁止はfundamental justiceの原理原則とは相いれない形で憲法のright to lifeを侵害しており、社会的弱者を守るためとしても例外なき全面禁止はoverboadであるとし、上訴を認めた。

 

著者がこの判決で最も大きな問題としているのは、Taylorの病状よりもさらに幅広い患者増を対象に安楽死の合法化を認めてしまったこと。具体的には以下の指摘がされている。

 

Or consider this passage:"For the foregoing reasons, we conclude that the prohibition on physicisan-assisted dying deprived Ms. Taylor and others suffering from grievous and irremediable medical condisions of the right t life, libety and security of the person"(P. 371; emphasis added). The court could have written "and others suffering from ALS and comparable imcapacitation terminal conditions" but clearly intended that its ruling encompass a larger range of ailments. 

(p.40)

 

……the court opted to strike down these laws for a far broader class: namely, any competent consenting adult with a grievous and irremedialbe medical condition that he or she finds intolerable.

(p. 41)

 

次に、今後の議論の拡大の素地を作った、との批判。

 Furthermore, the Supreme Court seems to have adopted as a working princple something akin to the following: if the government's doing or prohibiting somethins is realistically liable to drive a small classes of individuals to suicide, then that government action or prohibition infringes the section 7 right to life.

(p.41)

 

また、対象者の範囲があいまいであり、とりわけ身体的苦痛のみに限定することが明示されておらず精神障害者を対象に含みかねないと、精神科医らから懸念が表明された。

 

同様に「同意」の問題に十分な考慮が行われたと言えるか、教唆と濫用についてSmithと同じくすでに合法化した国々のセーフガードを反証として採用したことへの疑問。

 

重要な指摘として、以下。

……the Supreme Court established at best a negative right to MAID. It manifestly did not establish it as a positive right, with the state thereby obliged to provide it to patients who meet the necessary criteria. Nothing in this ruling obliges provinces to fund assisted death, and nothing implies that the failure to do so would put a province in contravention fo the Canada Health Act's requirement to fund medically necessary servides. 

(p.45)

*ただし、この指摘は、その後のカナダの判例や行政上の動きなどを見ても、実態として誤っている、あるいは甘い、少なくとも著者の希望的法解釈なのでは? MAIDを提供しないと決めたホスピスが公的補助金を引き上げられる訴訟も起こったし、予算措置もされ、その一方で緩和ケアへの予算が削減されているとの情報もある)この判決によって「MAIDは裁判所が合憲と認め、立法府が合法化した、合法な医療サービスであり、個人はそれを利用する権利がある」とみなされてきているのが実態だと思う。

 

これら一連の訴訟に門戸を開いたのは、1972年に自殺未遂が犯罪ではなくなった法改正。 it will surely go down in Canadian histroy as one of the more striking examples of the law of unintended consquences.

(p.45)

 

 

 

 

『TOMO』2021年11月号 特集「コロナ危機での報酬改定~工賃、事業継続へのダブルパンチ」

TOMOの11月号の特集「コロナ禍での報酬改定」を読んで、

これからそうなるだろうなと思っていたことが、いよいよ露骨に

実行に移されてきた、と確信。

 

GHを柱に施設から地域へと追い出しにかかっていた国は、

今度はGHからの追い出しにかかってくるんだ、と。

 

以前からGHに民間企業の参入を進めることで

(しかも地域の福祉推進ではなく経済活性化策として)

軽度者だけの受け皿を増やし、全体としてGHの貧困ビジネス化を推進しつつ、

GHができたからというアリバイで重度者にも施設を作らない方針を正当化してきた。

 

こういう国の施策の方向性や、地域の支援資源の実態を置き去りにして、

施設か自立生活かの2者択一の議論をされても、

障害者のマジョリティにとっては、どちらも手の届かない高嶺の花。

実態は施設すら奪われて、当事者も家族も地域の事業所で働く人たちも

命の危機にさらされているのに……と、ジリジリしていた。

 

今回も、地域の障害者の暮らし方の理想形としては

アパートでの一人暮らしを目指すと国が言い出しているらしく、

自立生活のみを善とする障害者運動の一方的な主張は、体よく国に悪利用され、

地域への棄民のアリバイを与えることになっていないか。

 

 

「コロナ禍と報酬改定のダブルパンチ」

神奈川県 社会福祉法人あまね 理事長 海原泰江

 

●コロナ禍での支援の継続は、厚労省の通知により、生活介護事業所やGHでは、電話連絡などの実施で報酬を保障。ただし居宅介護支援事業所はキャンセルが出ても保証はなし。「ヘルパーの稼働がないので現状は何とかやりくりできているが」(p. 5)は、利用者側としてはどういうことになるんだろう? 身体介護は感染リスクを伴っているのに、そこに配慮がないことが疑問。

 

●今年2月に21年度以降の報酬改定が発表された。「『エ~。こんなに減額されたら運営が成り立たない』と思いました」(p. 5)

  生活介護事業所と共同生活援助(GH)で減額。GHは重度化・高齢化への対応で、区分3以下の人の夜間支援体制加算をはじめ、本体報酬も減額。生活介護事業所も全体に減額。

 改定の流れ全般としては、「障害支援区分の軽い方は障害福祉サービス事業を活用することなく一般就労へ。また、暮らしの場もグループホームではなく自立生活援助を活用して、地域での一人暮らしという流れを作りたいのではないかと勘繰ってしまいます。……障害支援区分が軽くても生活のしづらさを抱えている人は、私の周囲にはたくさんいます」(p.5)

 

●当法人のある横須賀市内のグループホームの設置状況を見てみると、「営利企業」が多く参入しています。法人格を持てば福祉事業への参入が可能となるなか、グループホームの設置を不動産会社が実施している実態には課題を感じています。営利ばかりを目的とする事業者の参入こそ、課題だと思います」(p.5)

 

「一段ときびしい運営に 生きづらさを抱えた仲間の支援」

埼玉県 社会福祉法人みぬま福祉会 オレンジホーム 施設庁 野崎壮一

 

●「報酬が十分でないために人件費を抑えるしかありません。少ない生殖だけではどうすることもできずに、非正規に頼りながらなんとか運営しています」

「きょうされん埼玉支部ホーム部会の実態調査でも非正規者の総数361名中、60歳以上の方が232名になっています。6割以上が60歳以上という調査結果は毎年変わりません。中には80歳を超えている方もいらっしゃいます。この方々がいなければホームは運営できません。皆さん一生懸命に働いてくれていますが、仲間たちが安心して生活していくためには働き手の数だけではない大切なことがあります」(p.7)

 

「報酬改定に振り回されて ”ひかり”輝く未来へ」

滋賀県 社会福祉法人蒲生野会 ライズ廿日市 児童発達支援管理責任者 小口望

 

●基準単価は年々削減され、2019年度と比較すると2021年度55単位(一人・日)の引き下げ。年換算で132万円の減収。

 

21年度の改定では専門的支援へのインセンティブをつける狙いの加算と思われる。

「実態は人員確保の厳しさがあるなかで人の確保は容易ではなく、専門的力量のある人の確保となれば、なおさら厳しいのが現実で、加算取得はそう簡単にできないのが実態です。……異動できる職員や専門的支援の有資格者がいない法人では対応できずに減収になるでしょう。

 そもそも……「営利ばかりを目的とした」企業の参入を認めたことにより「悪しき放課後デイサービス」と言われるような弊害を、加算・減産のしくみの強化で修正する方法はおかしいと思います。(p.11)

 

●「……今日、母親などが働きに行かないと生活できない家庭がたくさんあります。親などが安心して働けるように考え方も見直されてほしいなと思います」(p.11)

 

 

コラム「時論会説「障害者総合支援法の提示改定の中で狙われるグループホームの制度見直し」

居住支援部会 部会長 塩田千恵子(p. 12)

 

●22年1月からの通常国会で、障害者総合支援法の提示改定(3年ごとの見直し)。今回の一番大きな課題はGH制度の見直し。

 

●21年3月に厚労省の検討委員会により「グループホーム、地域生活支援の在り方事業報告書」。現在のGH3類型を見直し、自立生活移行支援型GH(通過型GH)と一般型GHにする。障害支援区分の低い人は通貨型の対象となり、一人暮らしを目指すことが求められる。通過型では標準利用期間が設定されて、継続的な利用は想定されていない。

 

●塩田氏の指摘として、生活の場の選択は本人の希望によるべきで、「障害支援区分による切り分けで一方的に決めるのは人権侵害になりかねない」「GHが一人暮らしに向けた『訓練』の場になっては生活の場に欠かせない安心安定が失われてしまう」

 

●その他、塩田氏が挙げる懸念として、GHの家賃補助の見直しへの言及。重度者のGHで「規模の要件の緩和」が述べられ大規模化の懸念。個人単位のヘルパー利用はGH職員で対応する方向性。

 

「……現状ではその(一人暮らし)ために必要な制度や社会資源、そして所得補償も不十分だ。障害のある人はなかなかアパートが借りられないなど、地域の偏見や差別も根強く残っている。報告書はそのような現状を一切顧みることなく、一方的に障害のある人の生活のゴールを「アパートでの一人暮らし」と決めつけていることに大きな問題がある。

 なぜこのような乱暴な検討が進められようとしているのか。そこにはこの10年間にGHの利用者数が2.5倍、費用額が約3.7倍に膨れ上がり、これ以上GHにかける公費を増やせないという国の財政上の理由がある。工費は増やせないが、毎年

GHの利用者は増え続け、重度化高齢化も進んでいる。そこで支援区分の低い人をGHから「卒業」させることが見直しの狙いなのだ」

 

 

 

PASで死ぬのに8時間かかった男性(コロラド)

2017年12月14日のDenver Post記事

https://www.denverpost.com/2017/12/14/colorado-aid-in-dying-law/

 

Susan and Kurt Huschle夫婦は

16年の医師幇助自殺合法化をめぐる州民投票で賛成を投じた。

その時には、遠い仮定の問題だった。

「私たちは賛成票を投じたけど、PASについては何も知りませんでした」

 

投票の3か月後に夫が末期の肝臓がんだと判明。

症状が急速に進み、痛みが耐えがたくなる。

 

法の施行から7か月後の17年7月16日、夫のKurtさんは自宅寝室で医師幇助自殺で死亡。

 

But the process, from paperwork to prescription and finally to practice, bred frustration, stress, uncertainty and ultimately a wife’s panic in his final hours.

 

法の施行直後なので、医療関係者に知識がなく、手続きは難航した。

 

Compassion & Choices now counts 81 health care facilities and 16 hospices statewide with policies supporting an individual’s choice to pursue aid in dying. Catholic-affiliated systems opposed the initiative on religious grounds and do not participate, and some other facilities are still formulating policies. Still, West says, doctors faced with an aid-in-dying request for the first time may need time to consider it.

 

何とか準備が整い、当日は朝4時半に決断。

数時間後にホスピスの看護師がやってきて、当人の決断を確認。

夫婦だけでやりたいと看護師を帰した後、夫は正午に飲むと決める。

 

妻が指示通りに2種の薬物を混ぜた際、少しこぼれた。

飲む際、夫は、一口ごとにむせてはせき込むことを20分間繰り返した。

それから横になると、目が裏返り、

2回呼吸しては長くとまり、また2回呼吸する、という呼吸になった。

意識が戻ることはなかったが不安定な呼吸が続いたまま4時間が経過。

「4時15分になり、私は大パニックを起こし始めました」

 

医師への連絡がつかないまま、

夫が飲むときに何度もむせたために量が足りなかったのか、と考える。

 

夜7時に、ホスピスに看護師派遣を要請。

看護師の到着後、医師が電話で追加手段を指示(具体的に何をしたのかは不明)。

まもなく、夫が身体を少し起こして、3回えずき、枕に倒れこむと呼吸が止まった。

死亡時刻は夜8時15分。

 

気になるのは、記事にある以下の情報。

一番効き目が強いセコバルビタールは4100ドル。

夫は主治医に数種の薬物を混ぜたもの処方してもらった。500ドルだった。

モルヒネの混合薬? 薬局では2~4時間で死ぬと言われた。

 

記事には、それまで飲んでいた薬の影響などにより個人差が大きいが

通常は数時間以外に死ぬ、と書かれている。

コロラドで高価な方のセコナールを使っても死ぬのに2日半かかった人もいた、とも。

 

Secobarbital, the primary drug of choice in other states that enacted aid in dying, had been what Herb Myers’ wife had used. She had slipped quickly and quietly away. But the $4,100 cost gave Kurt pause. His doctor prescribed a less-expensive combination of drugs that cost $500.

 

But even with a prescription in hand, procuring the medication wasn’t easy. When they finally found a pharmacy that could fill it, they learned it was the first time that location had ever filled an aid-in-dying prescription. They were told the morphine compound would work in two to four hours. The required request-for-medication form notes that most deaths occur within three hours, though some can take longer.

 

 

Susan probably will never know why it took so long. Did Kurt’s pacemaker keep the drug from stopping his heart? Did not enough medication get into his system? Did he use the wrong prescription? The effectiveness of drugs can vary with the individual, though they normally work in a matter of hours. But in one unusual case, a Colorado patient who used the more expensive Seconal took 2 1/2 days to die.

 

Without question, it took a toll on Susan, especially the fact that Kurt’s apparent coughing and choking after swallowing the medication kept them from saying the kind of goodbye she had imagined. In the immediate aftermath, she describes herself as “numb, in shock, stressed.”