渋谷智美 清田隆之編 『どうして男はそうなんだろうか会議』(筑摩書房)

第4章 男性が乱用しがちな「構造的な優位」とは?

 ゲスト 平山亮さん

 

平山:……男性の生きづらさに関連して言うと、「自分はそういう男らしさから降りたいんです。だけど、周りの男性がそうさせてくれない」という声も聞かれます。もちろん、降りることを妨げようとする男性もいるとは思うんです。でも、性別分業に賛成する男性って、意外と少ないんです。……にもかかわらず、周りの男性みんなが性別分業に賛成していて、自分だけが反対しているから、「降ろさせてくれない」という受け止め方になってしまう。……

渋谷:……

 これは仮説ですが、「降ろさせてくれない」とアピールする人って、男性であることで、いろんな特権を得ていることを、どこかで自覚していると思うんです。すると、自分が得ている特権を正当化するために、それなりの代償を払っているというストーリーが必要になる。なので、自分が対価を払っていることを回りに信じさせるために、ことさら「つらい」「でも降ろさせてくれない」と言っているのではないでしょうか。

平山:そういうアピールって、性役割論の乱用だと思うんです。性役割って、劣位の側にある女性が、劣位ゆえの不利益の責任を負わされないようにするための枠組みだったはず。たとえば、子どものいる女性が仕事をやめ、経済的な自立が難しい状況に置かれた時、「やめることを選んだのはあなたでしょ」「自分の選んだ結果でしょ」と言われそうになるのに対し、「いや、そういう選択を取らざるを得なくさせる構造があったためだ」「仮に本人が自由意思で選んだように見えたとしても、それは強制された選択だったんだ」と、本人の責任を解除する枠組みを組み立ててきたのがジェンダー研究です。そうした構造要因の一つが、「女はいかにあるべきか」という規範としての性役割でした。劣位の側は、自分の置かれた不利な状況を自己責任化、つまり「お前たちが悪い」にされがちなんです。

 さらに言えば、マジョリティは、責任を外部化する枠組みがいくらでも用意されているということ。例えば、男性による女性への性暴力をめぐっては、被害に遭った女性の落ち度が執拗に指摘される一方、加害者の男性については「性欲を刺激されてしまったから」といって、責任が自分の外にあるような言説があらかじめ用意されている。……

渋谷:なるほど。マジョリティの特権って、人のせいにできる権利のことなんですね。

(p.144-146)

 

渋谷:たとえば、女性と接するときには、どんなことに気をつけたらよいでしょう?

平山:答えはいくつかあるのですが、穏当な答え方としては、相手が自分をどう思っているかは絶対に分からない、という前提で接すること。……

 もう一つの答え方は、こちらの方が私の本音なのですが、もし私が「女の子と接するときにどうしたらいいと思う?」と、仮に友だちから聞かれたら、「そんなことを聞いてくる時点で、あんた、女をなめてるね」というでしょうね。だって、すべての女性に当てはまる接し方なんて、本来はないはずですから。

(p. 152)

 

渋谷:ケアリング・マスキュリニティを獲得している人は、相手を支配できるけれども支配しない。それって、どういうことなんでしょうか。

平山:具体的な実践として考えられることの一つは、「自分は相手のことを完全にはわかっていない」と意識し続けることだと思います。「相手にとって一番良いことは何か、私が最もよくわかっている」という自覚は、相手への支配にほかならないんです。……

(p. 158)

 

平山:……「社会生活基本調査」を再び取り上げると、子どものいる世帯での育児時間は、男女ともに有業な場合や、男性だけが有業で女性は専業主婦である場合だけでなく、男性無業で女性だけが有業の場合でさえも、女性の方が長い。つまり、女性は仕事と育児の時間をトレードオフすることも、仕事があるからといって育児を配偶者に任せることも、ほとんどできないということです。つまり、家事育児ができない理由として仕事を持ち出せるのは、男性の特権なのです。

 女性が家事育児をすることがデフォルトになっている社会で、女性たちは就業継続の困難も含め、すでに様々な不利益を被っています。そういうなかで、女性が男性に「家のことも、もうちょっとやってほしい」と訴え、自分の置かれた状況を改善しようとしているとき、男性が「仕事で忙しいんだから」と言って反論することは、優位にある側がその特権を最大限利用して、劣位の側の必死の訴えを叩き潰す行為にほかならないんです。これこそ、構造的優位の乱用そのものでしょう。

(p.172)

第5章 「誰でも差別し得る」という出発点

ゲスト:前川直哉さん

 

前川:医大の不正入試問題は、おっしゃるようにホモソ社会、ないし男性中心社会を維持するために生じた現象だと思いますね。

 あのとき、大学の関係者が「女性は大学卒業後に出産や子育てで、医師現場を離れるケースが多い。医師不足を解消するための暗黙の了解だった」と発言しているんですが、育児は当然男性もするべきですよね。これは最近割と言っている話なんですけど、男性中心社会では、経済とか誠司といった公的な領域を自分たちで独占したいという欲望だけでなく、育児や介護など、さまざまなケア役割から逃げ出したいという欲望も強いと思うんです。

……いまなお多くの男性は、仕事を言い訳にして、ケア役割から逃げているというか……、本当にやりたくないんだなと思いますね。

 だから、医大不正入試の問題にしても、男性の医者は育児を担わなくてもいいというその前提からして、おかしいと思うんですよ。

(p.184-5)

 

前川:……

 私たち男性が、もし前近代に生まれ落ちていたら、生まれた場所や家柄によって、どんな教育を受けられ、どんな職業に就けるのかも、あらかじめ決められてしまうわけですよね。でも今は違います。教育を受ける権利は憲法で保障されていますし、多くの人が高校に進学し、短大や大学で学ぶ人も少なくありません。

 もちろん今でも、裕福な家とそうでない家の経済格差は歴然としてあって、それによって教育機会の格差は生じています。それでも、前近代と比べれば、はるかに業同人ってきていますし、チャンスだって格段に増えています。それが可能になったのは、差別格差をなくそうと、先人たちが努力してきたからです。

 こうした中で、ジェンダー不平等はまだ残っているわけだから、男である自分にとって、現状の方会都合が良いからと言って、ブレーキを踏んでしまってはおかしいでしょう。先人たちのおかげで、いろいろな恩恵を受けられるようになったのだから、ジェンダー格差の問題も、少しずつであれ、その解消を図るということが、自分たちの責務ではないかーー。

(p.202)