ヘレン・ルイス 田中恵美香訳 「むずかしい女性が変えてきた あたらしいフェミニズム史」(みすず書房)

……フェミニズムの歴史を考えるとき、運動の先駆者たちが大きな過ちを犯しているからといって、そうした引っかかる点をその人物からそぎ落したり、すっかりなかったことにしてはいけない。人間として、男性と同じように欠点もあると認めたほうがよい。メアリ・ウルストンクラフトは次のように書いている。「なぜ女の子は、天使みたいだねと言われなくてはならないのか。成熟した女性にさせないでおくためか」と。完璧でなければ平等の権利にふさわしくない、などということはないのだ。

(p. 1)

 

……社会を変えようとすれば、人から好かれることはない。痛みを伴い、困難が待ち受ける。苦しい闘いだと思うだろう。目の前にある山の大きさを受け入れて、とにかく登り始めなければならないのだ。

 また、女性であること自体がむずかしい問題をはらんでいる。男性のために作られた世界で、女性はその中におさまろうと、いつも苦闘してきた。わたしたちは、シモーヌ・ド・ボーボワールのいう「第二の性」だ。……わたしたちは、二つに分断された世界の悪い方にいると考えられている。男性はまじめで、女性は愚かだ。男性は合理的で、女性は感情的。男性は強く、女性は弱い。男性は変わらぬ意思を持ち、女性は気まぐれ。男性は客観的で、女性は主観的。男性が人間であり、女性はその一部である。……

(p. 5)

 

 わたしたちは、自分の人生を自分で動かす女性に対してなんとなく違和感を抱く。これは、書く仕事であっても美術や音楽であっても、競技と同じように娯楽の要素がある創造的なことを追求しようとする女性に対して同様にあてはまる。「本は小さな自分勝手を積み重ねてできる」と、クレア・ディディラーが2017年11月に『パリ・レヴュー』誌に寄せたエッセイで書いている。「自分勝手で、家族を顧みない。玄関に置いてある乳母車を気に留めない身勝手さ。自分勝手に現実の世界を忘れ、新しい世界をつくりあげる。……とにかく言うべきことは言いたいという自分勝手な態度」

(p. 132)

 

 第一次世界大戦中に、150万人の女性が労働力に加わった。男性と同じように仕事を始めると、男性と同じようにお金を使い、同じようにスポーツを嗜んだ。だが、やがて男性が帰ってくる。国家のために甚大な犠牲を払い、負傷し戦争神経症を病んでいた。彼らは仕事に戻りたかった。さらには――正直なところ、テーブルにお茶の用意をしてほしかっただろう、と想像する。こうして、古い秩序をもう一度取り戻そうという動きがいっせいに起こった。これが、1919年に制定された戦前活動復旧法の狙いで、同法により女性は工場の職を追われることになった。サッカー協会が女性を競技から締め出したのと同じだ。「余暇」は「有給の仕事」があって初めて成り立つ。余暇を楽しめる公共の場も必要だ。……プロの競技から女性を締め出すことは、公共の場が男性の領域であることをあらためて主張するものだった。

(p. 135)

 

 

エピローグ  むずかしい女性のためのマニフェスト

 

 むずしい女性は不作法ではなく、偏狭でも意地悪でもない。状況によって必要とあらば、すすんで厄介な存在になろうとするだけだ。必要ならしつこく要求し、無視されても屈しない。「それが、これまでずっとやってきた」方法だとしても気にしない。女性はこのように振る舞うのが当然だ、低い地位でも受け入れるのが当然だと勧められても動じない。「当然」ではないだろう。もしそうだとしたら、予防できる病気で死ぬのが当然なのか。昔からある話だからといって、女性がコレラで死んでもいいとはだれも思わない。(p. 395)

……

 むずしい女性はほかの女性たちに親近感を抱き、ほかの女性たちが生活や経験のなかで味わってきたことに共感する。女性たちを分断するものよりも結びつけるもののほうが重要だと考える。……(p. 396)

……

 そして何よりも、むずかしい女性は知っている。どれほどむずかしい女性だったとしてもこういう闘いすべてに1人で立ち向かえる人はいない。ときには疲弊し摩耗する。だが、救いが一つある。むずかしい女性はかならず、別のむずかしい女性を見つけるのだ。彼女たちが思い起こさせてくれるだろう。何百年ものあいだに彼女の前を歩いた何百人もの女性と同じように、この難しさを生かして違いを生み出せると。むずかしい女性たちが力を合わせれば、世界を変えられる。

(p. 397-8)