和田秀樹『60歳からはやりたい放題』(扶桑社新書443)

患者よりメンツを優先する日本の医学会

 

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 たとえば、乳がんの治療法の変遷を見ても、その様子は明らかです。一昔前は乳がんが見つかったら、乳房を全部切除する手術方法が一般的でした。ただ、乳房をすべて切除してしまうと、大胸筋という筋肉やリンパ節もはずしてしまうので、腕を上げることもできなくなります。また、手術をされた女性も、乳房を失うことによる外見的な変化や精神的な喪失感に苦しむことが多々ありました。

 当時、慶應義塾大学医学部専任講師だった近藤誠医師は、「願を患っている部分だけを切除して放射線を浴びせる術式と乳房を全部摘出する術式とでは5年間の生存率が変わらない」という新しい治療法を『文藝春秋』誌上で紹介しました。

 乳房を全摘出せず、一部だけ切除すれば治療できるのであれば、後遺症も少なく、外見上の変化もほぼありません。

 患者には朗報と言えるこの治療法ですが、いざ発表されると医学界からは猛反発を受けることになります。なぜなら近藤医師の発言は、これまで患者に「乳房を切除しないと転移して大変な目に遭います」と言っていた医師たちからすれば、恥をかかされたのも同じこと。その後も近藤医師は医学界から、「あの医師はとんでもないことを言う医者だ」と後ろ指を指され、長い間総スカンをくらいました。

 

日本の医学界の罪と罰

 しかし、近藤医師を排斥していた、医学界の重鎮たちが引退した約15年後、近藤医師が提唱していた「乳房を全切除せずに願だけ取った上で、放射線を照射する」手術は、乳がん治療の標準治療になりました。もし、日本の医学界の権力者たちが過ちを認め、早くこの術式を取り入れていたならば、あるいは外科医たちが権威に負けずに治療法を導入していたならば……。15年という歳月の間に、乳房を全摘出されて苦しんだ女性たちは減っていたかもしれません。何とも罪深い話だと思います。

 さらに、周囲の同調圧力に負けず、当時の医学界にモノを申した近藤医師の名誉が回復されたかというと、決してそんなことはありません。……先見の明があったにもかかわらず、教授になることはありませんでした。この事例を見ても、日本の医療は、「科学的なデータよりも権力のある人の意見が優先」という因習がまかり通る、いい加減なものだと私は思っています。

 

「死にさえしなければいい」という日本の医師

 近藤医師の事例を見てもわかるように、日本の医師は「死にさえしなければ、患者にどんな後遺症が残ろうが、どんな生活上のハンディキャップんが残ろうが、問題ない」と思っている人の方が圧倒的に多いです。

 それは、コロナ禍における専門家たちの対策を見ても明らかでしょう。コロナ期間中、有識者会議の専門家たちは、過剰に人々の外出自粛を求めました。高齢者の方々はその言葉を真に受け、外へ出かけずに自宅待機をする方が非常に多かったのです。でも、その結果、新型コロナウイルスの感染はまぬがれたにせよ、孤独感を抱いてうつ病になったり、日課であった散歩やサークル活動を控えた結果、筋力低下によって歩けなくなる人が増えたりと大変な健康被害を生んでいます。もしコロナ対策に携わった専門家たちが、人々の「命」だけではなく、人々のQOLも考えていたならば、感染対策も大きく違ったものになっていたと思います。

(p.84-87)

 

いち早く登場してほしい「医者ログ」

(spitzibara注:この前の小見出しで、医師による医師の評価と、患者による評価とでは基準が違う、という話が書かれた後で)

……大半の患者にとっては、同じ患者が下した評価の方が信頼できます。いち早く、患者目線で書かれた医師の評価を一般の人が共有できる「食べログ」のようなサービス、「医者ログ」が一般化することが急務だと思います。

(p.92)

 

体調と向き合いつつ、薬と付き合おう

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 しかし、多くの内科医は、血圧や血糖値が高いと、特に説明もなしに薬を渡します。でも本来は「血圧を正常に戻す薬をお渡ししたので、頭がぼんやりする可能性があるかもしれません」と説明するべきです。

 日本の医療では、患者側に丁寧な説明が示されないために、患者本人に「頭がぼんやりした、だるい状態のまま天寿を全うしたいのか」、それとも「平均寿命より短命に終わっても、頭がはっきりした状態で残りの人生を送りたいのか」という選択肢を与えることもありません。

(p. 101-2)