川口有美子 新城拓也 『不安の時代にケアを叫ぶ ポスト・コロナ時代の医療と介護に向けて』(青土社)

以下、ゴチックはspitzibara

 

コロナ禍での面会制限・医療についての箇所 

 

新城 今COVID-19の影響で家族が病室にいない。それでびっくりするほどいろんなことがどんどん決まっていきます。

……

新城 本人の苦痛緩和優先で、病院では家族がどう感じているかなどは、面会が制限されて、病室に普段いないため後回しもしくは無視する状況です。

川口 この感染状況では入院患者に会わせてもらえませんからね。

新城 医療従事者の中には、本音を言えばむしろコロナ時代に仕事が楽になったひとも多いはずです。病棟にひとが少なくなったからこそ、自分たちのペースで一日を運営することができる。コロナで家族の面会制限を続ける理由は、病院での感染拡大を防ぎ安全第一で運営するためだけでなく、この楽な状態を続けたいためでもあるでしょうね。家族のケアまでしなくてもいいですから。

……

新城 痰の吸引も、家族が見ていたらすごいプレッシャーのなかで苦しまないように一挙手一投足丁寧にやるのに、誰も見ていないとぱぱっとやってしまうという話も聞きます。

川口 ……コロナ禍で病院のケアの質が下がってしまう病院もあるんじゃないかと心配です。もちろんちゃんとしている病院施設が大半でしょうが、そうでない病院にとっては、コロナ禍が言い訳になるし、誰も咎めませんから。

新城 おっしゃるとおりすごく質が下がっていますね。以前から一般の病院でもときに患者さんを拘束していました(もちろん患者の入院時には家族は一律で、身体拘束の必要があるときには医療者の判断で拘束するという同意書にサインをしている。いや、させられる)。家族が病院に入れなくなったために、そんな酷い状況が見えづらくなっている。実際に私の親類が入院した2020年の7月にも、身体拘束の同意書を入院する前の救急外来でサインしたために、翌日にはベッドに身体拘束がされていました。しかし、身体拘束がされている親類の姿を見て、憤りを相当感じていても、私は顔見知りの看護師に対しても何も言うことができませんでした。

 ……

新城 せめて医療従事者は患者さん側に立たないといけないですね。「コロナだからあきらめて、コロナだから仕方がない」と病院側に立って、今までなら非人道的でできなかった面会制限や身体拘束をさっさと決断して進めていくのは本当にまずいことだと思います。

(p. 27-30)

 

新城 ……現状では、残念だけれど家族の看病や介護がないと、在宅医療は成立しないのが普通です。最近、私と、在宅医療を行っている全国の診療所で調査してレポートを出しましたが、家で亡くなったひとの90%に同居していた家族がいるんです(新城拓也・清水正克・三宅敬二郎他「自宅で療養するがん患者の状況と死亡時の医師や看護師の立ち合いについての調査研究」『Palliative Care Research』15巻4号、2020年)。さすがに90%はすごい数字です。家族の介護者がいないと、家で死ぬことはできないという現実が窺えます。

……

新城 家族の役割は、亡くなるだろう患者にとっては、とても必要な存在です。一方で、面会ができなくなって「やれやれ、よかった」と思っている家族もいるはずです。例えば遠方から仕事の都合もつけて、週末に何度も面会に来ていた家族にとっては、「病院に入れないから、行かなくていいんだ」となるでしょう。自分の生活に専念したい家族にとっては、「面会できないのは、コロナだから仕方がない」と自分の心に折り合いをつけることになるのです。

(p. 30-1)

 

新城 ……

 (初めて新型コロナに感染した人を在宅で看取った経験を語った後で)このとき、今までに経験したことのない苦しみを目撃しました。一つ目の苦しみは、家族のうち誰が患者さんにウイルスを移したのかが分かってしまうということです。

……

 二つ目の苦しみは、自宅療養していた患者さんが入院すると二度と会えないか、会えてもわずかな時間になってしまうということです。病院の面会制限は、自宅療養している患者にとっては入院をあきらめる相当なハードルとなっています。こうした事態に相対して、恩情のある例外(compassionate exeption)を提案する論文(略)を読みました。新型コロナウイルスの感染者ではない終末期の患者さんに対して、面会制限の緩和を行う例外措置の提案です。

……

新城 このような面会制限のある現実に直面して、在宅から入院に切り替える際に、在宅で介護していたご家族のみなさんは、以前よりも無力感を感じ、「私の力が及ばず、最期まで家で看病できなくて、ごめんなさい」という気持ちになっていらっしゃいますね。一方、患者さんも「自分が入院しないと、家族みんな倒れてしまう」と言いながら入院を決めていきます。そのとき、病院に入院すれば、会えなくなるに等しいくらいの状況になることは理解されています。今生の別れを生きているうちに決断する患者さんの心中は、どんなものなんだろうと私は今までに経験していない思いを持ちます。

……

新城 私からすれば、患者さんの入院を見送る家族は、物理的に「会えない」以上の苦しみを味わっているように見えます。「生きたまま、家族場に行かせる」感覚に近い、苦しい体験のようです。もちろん現実は異なるのですが、気分としてはそれくらい辛いものです。

(p.86-89)

 

新城 とはいえ、中小病院や施設でクラスターが発生したときに、「大病院に搬送せず、ここでなんとか頑張ってください」と言われているのは本当です。施設の職員皆さんもできるだけ感染予防に気をつけつつ、これまでのケアで大事にしていたことは大事にし続けたいと踏ん張っています。実際、デイサービスや、みんなで食事をすることは今も続けています。

 こうした状況下で、万が一施設でクラスター発生したりして、医師の治療を受けられず、施設に留められる場合もあるということを事前に本人やご家族に伝えておいた方がいいんじゃないかと思い始めています。しかもそれを堅苦しい免責事項のように伝えるのではないかたちで。自分の関わっている高齢者施設では、「もし施設内で新型コロナウイルス感染症に感染したら、できるだけのことはするけれども、それ以上は無理なのであきらめてほしい」ということを伝えることにしたのです。

(p. 101)

 

新城 また、入院した際の身体拘束の問題もあります。拘束には3つの方法が知られています。まずひとつは器具をつかってベッドなどに括りつける文字通りの身体拘束です。……もうひとつは薬物による鎮静で身体の動きを奪う薬物による拘束(ドラッグロック)です。三つ目は「ここから動くな」という言葉での拘束(スピーチロック)です。コロナ禍では、入院の付き添いができないこともあいまって、患者さんがこのどれかの方法で早い段階で拘束されてしまうケースが多発していることも問題です。自分が勤務している病院でもこのような状況は現実にあります。

……面会のない病室では、家族との交流がない、家族の評価がないことから、むしろ薬を強めてしっかりと眠らせて苦痛を緩和する傾向があります。

……この状況は、誰も事前に説明を受けておらず、誰も同意していないという意味で、私は薬物的に拘束していることと同じではないかと感じてしまうんです。

 こうなってくると、これまで大事にしてきた緩和ケアや終末期医療のあり方がすべて崩れてしまうんです。本来、短い時間であったとしても密度濃く練り上げて、最後の週末の鎮静や治療の仕方を決めていくところ、なんでも簡単にぱぱっと決めていくことが起こっている。私自身も親類が、入院中の病院で身体拘束された経験をして、これは家族にとっては相当な苦痛だと思いました。拘束されていても病院のひとたちには異議を言うことができませんでした。やっぱり同じ医療者であっても家族の立場になるとものが言えなくなるのです。
(p. 107-8)

 

新城 現実に起こったことは、それぞれの現場でのトリアージでした。人工呼吸器をつけるかどうか以前の、入院させるかどうかというトリアージなので、医療資源の配分以前問題でした。例えば高齢者施設で複数の患者を診ていました。そのなかで誰か一人しか入院できない場合、それを誰にするのか結局私が判断しなければならないということが起こりました。その際に何らかの基準を設けて数値化してトリアージするなんてことはできません。言ってみれば、明確なルールなしで自分の勘で判断して入院する人を決めるようになりました。そこで見えてきたのは、コロナに感染しても入院できないとなると、そのひとがどういう基礎疾患をもっていようがもっていなかろうが、年齢を重ねていようがいなかろうが、公平に、その人の運だけで生き残れるかどうかが決まってしまうということでした。

 私が在宅酸素や薬をすぐに届けたとしても、結局そのひとの運によって行く末が決まってしまう。そのひとの運に、少し加勢することができるのが医療という当たり前のことを痛感することになりました。そうした医療のありようは、最低限のレベルのものだと思うのですが、実際にそういう状況になったんです。

(p.166)

 

新城 ……209年までは……豊かなQOLを模索するいい時代です。しかし、コロナ禍となった2020年以降はQOLの範囲が突然小さくなっていく危機を感じました。多様性の追求以前に「生きてさえいればそれでいい」といった、貧相で、シンプルな考え方に移行したと思うんです。医療に関しては「患者本人ファースト」を追及していたわりに、病院機能の制限ばかりが目に付くようになり、病院の患者さんのQOLは相当に低くなってしまいました。家族と面会できない、外出できないという状況は、入院することと留置所にいることと同等のQOLではないでしょうか。「病院ファースト」の時代に逆戻りしたと感じます。

(p. 190-1)

 

新城 ……私からするとコロナ禍によって家族のありようが変わってきたことも考慮に入れなければならないと思います。家で介護しながら仕事することができるようになった良さよりも、家族の構成員みんなそれぞれが、社会から隔絶され自宅の狭い空間で悶々としている悪い面が目に付くようになっています。それに加えて、老々介護をしている高齢者世帯では、子どもの援助が得られにくくなっています。遠方から訪ねられないという理由で、親を見に行けない自分の心を正当化できますし。そういった悪い面も出てきているように思います。

 病院でも、面会制限を病院から言われると、介護する子どもたちの側は自分生活に没頭できて、親の介護を通してやり取りする重要性が見えにくくなる。ですから、私としては一人一人が他人のために自分の時間や労力を費やさなくなったことが目に付いてしまいます。

(p. 210)

 

新城 ……

 私の周りで今問題になっているのは、ケアを大切にしていた医療者たちの離職です。

……

 こうした離職はすごく気になっています。……現状を変えようと思う志をもったひとはたくさんいるんですが、一方でそれをやめさせようとする、つまり現状の病院のロックダウンを変えないようにするひとも大勢いることが分かりました。患者と家族の交流を増やしたい、在宅への移行を促進したい、外出・外泊をすることで患者さんが在宅慣れしていくように準備をしたいと言っても、すべてがコロナを理由に上層部からその案がつぶされていくわけです。それで医療者の心が折れてしまっている。ケア志向の強い私のような医療者は、心のどこかを殺して仕事をしているのが現実だと思います。

(p. 211-2)

 

新城 ……

 病院の診療やケアの質がすごく下がっていることを実感するから悲しいのです。恐らくですが、人手が足りないというよりも、医療職が患者さんに心を配分することが以前よりもさらになくなっていることの表れのように思うんです。

 確かにこの間、発熱外来、ワクチンの業務といった、今までやったことがない業務がいくつも入ってきました。こうした対応に心と時間を奪われている間に、本来病院でケアの質をあげるために努力をし続けなければならないという考えもすっかり抜けてしまったと感じています。病院の医師も看護師も「今は非常時だから、ぎりぎり最低限のことで回していくしかない」という現場感覚のままずっときています。そうなると、必要最低限だけのケアしかしなくても、「今はこれでいいんだ」と思ってしまうのです。ケアの質を追求しない姿勢になってしまうんですよね。

(p. 228)

 

新城 ……2020年からは、相当強い面会制限をどの病院もするようになりました。患者の人権を無視するような方向に動き、病人が社会から完全に隔絶される方向に戻ってしまっている。15分間、家族のみ、一人だけの面会は留置所の面会のルールよりも厳しいです。病院が留置所、収容所と化していた時代に戻っているのに、患者側はそれを問題視する方向に動いているとは思えません。みんな従順に仕方がないと受け入れています。2021年秋、「病院は家族だっても面会できない、そういうところだ」ともう常識化しているとすら感じます。

(p. 234)

 

新城 ……私の嫌いな言葉なんですが「もやもや」することをすっきりさせるのが倫理だと思っている医療者が多いです。だいたい倫理というのは道徳と違って、答えが定まっていない領域なんです。医療者は「もやもや」する前に、自分の常識や内面化された固定観念を問い直してほしいなって思います。ひとから答えをもらうために倫理を利用するのはやめてほしいなと思います。

(p. 252)

 

新城 ……私は、何度も言ったとおり医療がとても雑になってしまったというのがこの二年間の想いとしてあります。そして、「医療者の皆さん、いつもありがとう」とコロナの患者の対応を市民からねぎらわれてしまった結果、現状を反省しない心ができ上がってしまいました。ですから、今一度丁寧に医療やケアをやろう、と叫びたいですね。……(p. 265)

 

新城 ……

 2021年11月から2022年正月まで、新型コロナウイルス感染症の第五波が過ぎ、奇跡的に患者数が減り続けて、落ち着いた状態が続いていました。世の中は平成と活動を取り戻しても、変わらずマスクをつけたまま外出しています。そして、科学的なエビデンスを大切にしてきたはずの医療現場、特に病院は、この落ち着いたわずかな間も相変わらず、面会を相当に制限しつつけており、全く科学的でないことを続けていました。それでも患者も家族ももう諦めて「仕方がない」と病院の中で孤独に病気と向き合っています。そして正月が終り、わずかな間に感染者は激増して、また新たな不安の波が押し寄せています。

(p.273)

 

 

終末期ケア・緩和ケアについての箇所

 

新城 ところで、鎮静や最後の手段としての苦痛緩和として、モルヒネを使うと連想する方が多いのですが、実際は違います。モルヒネでは最後の苦痛は緩和しきれませんし、ましてや致死させようと思っても、量を増やしてもなかなか死に至ることはありません。やはり睡眠薬を使わないと苦痛は緩和できません。

 やはり緩和ケアが一般的には、どうも心掛けとして学ばれている感じがして問題に思っているんです。つまり、緩和ケアとは、苦しむ患者さんや命の最期を迎える患者さんに優しくすることだと、医療者や一般の市民から思われているのではないかと感じるのです。

川口 情緒的でスピリチュアルな行為を「緩和ケア」と呼ぶこともありますが、患者は専門的な知識に基づいた的確な痛みの軽減を望んでいるんだと思います。

(p.37-8)

 

川口 医学部で緩和ケアの講義自体はあるんですか?

新城 6年間のうちに数コマ程度です。実技というより「概念」を習うという感じですね。

……

新城 現在では1日から2日の短い研修をして修了証をもらうと、「緩和ケアの教育を受けた」という認定証をもらえます。

……

新城 ……緩和ケアを行うには専門の医療技術が必要です。痰の吸引の技術と同じように、教えて人に伝えられる技術がある。「心掛け」や「心持ち」を緩和ケアとしてとらえていたら失敗します。でもせめて、緩和ケアを一般の医師に広く知ってもらえるなら、興味を持ってもらえるならと、二日間のプログラムをつくり、私も今までよく教える側にいました。患者さんとどういうコミュニケーションをもつのか、コミュニケーションはどう構築するのか、どういう質問が、患者さん、家族にとって大切な問いかけなのかの第一歩は学べます。そして身体の苦痛を緩和するための方法も学べます。でも研修医むけの内容ですね。

……

新城 緩和ケアに関して言うと、医師が「自分でできているつもりになっている」というのが恐ろしいところです。京都の安楽死事件を起こした方も、自分は安楽死と緩和ケアを同時にできているつもりになっていたのではないでしょうか。

 緩和ケアの質というのは、手術の質を上げるのと同じくらい、指導医がきちんと助言しないと高まりません。しかし、指導医の助言を受けられる状況にはないのが現実です。

……

新城 まずは養成する仕組みをつくらないといけないですよね。緩和ケアを自分の仕事に取り入れたいと思うひとは、自分の近くのホスピスで最低一か月研修してくだされば、相当に状況はよくなると思います。さらに、周りから自分の治療が口出しされるのが普通にならないと。そういう病院のシステムづくりが必要です。

(p. 43-4)

 

新城 (気管切開するとALSの患者は安心するが、逆に不安や痛みが増す人もいる、との川口発言を受けて)でも気管切開をしないと決めてしまった人は、最後はセデーションするしかありません。痛み止め(モルヒネ)だけでは、最後の苦しさは解消できないんです。

川口 私は大腸内視鏡の検査をするときに、薬をつかってもらって、三秒で意識がなくなったのですが、あの感じですか?

新城 全く同じミダゾラムドルミカム)という薬で同じ手法です。

(p. 57-8)

 

新城 ……実際、DNRは現代医療の引導の私方として標準的なものとなっている。しかしこれには、覚悟や責任みたいなものは感じられません。やはり業務的な取り決めに過ぎないと感じています。

……DNRの他にも、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)なんかもそうですね。患者さんに「あなたは死ぬかもしれない。覚悟を決めてください」と引導を渡すのは、医療職にとってかなりキツい仕事です。ですから、意味を薄めるようなコード化が行われているわけです。

(p.110)

 

 

安楽死関連の箇所

 

新城 だいたい10分以内くらいに死に至らなければ失敗と言われています。安楽死は失敗すると取り返しがつかない。というのも、もし失敗したら、その後の苦痛を医師が緩和することができないのですから。

(p. 60)

 

新城 ……患者さんに「どこで最期を迎えたいですか?」と医療者が問えば、患者さんもその家族も何らかの答えを考えてはくれます。でも現実的には「自宅」か「施設」か「病院」の三つしかないのですから、その中で選んでもらっても、そのひとの人生観や価値観が反映されているのか、ひとの死は最期の場所を決めることでよりよいものになるのだろうかと、いつも考えてしまうのです。また、人間が望んだ死に方をするという欲望を果たしていくのは、不老不死の欲望と実現させることと同じくらいナンセンスなものではないかと思うんです。そこまで人間本人の欲望を、死の瞬間まで追求していいのかと疑問に思っています。

(p. 92)

 

 

 

地域移行関連

 

川口 ……地域生活を継続するのもそう簡単ではなくって、京都で今回ALS女性の嘱託殺人事件が起きました。重度訪問介護制度を利用して、24時間の介護を受けながら独り暮らしをしている自立した方でした。私自身とてもショックで、事件の真相の深い部分はわかりませんが、改めて地域で暮らせていればそれだけでいいとか、ヘルパーさえ24時間入ればなんでもいいわけではないことを突きつけられています。

(p. 75)