森川すいめい『感じるオープンダイアローグ』

感じるオープンダイアローグ (講談社現代新書) | 森川 すいめい |本 | 通販 | Amazon

 

 それは、かつて私が、措置入院の判断をするために、都庁へ行った時の記憶と重なる。警察に保護されたその人の情報を事前に書類で読み、会ったばかりのその人の措置入院の決定を、その場で下すように促された。

……

 ここで入院の決定をしなければ、この人を支援する方法がほとんどないことも事実だった。その人に必要なのは隔離ではなく、もっと違う助けなのだが、その方法をこの国は用意していない。

(p. 58)

 

 それまでの精神医療は、困難を抱えた人をその人がいる場所(家庭、学校、職場など)から切り離して、管理された場所(病院や施設など)で治療を行い、治ったと判断したら元の場所に戻ることを許可するというものだった。これだと、管理された場所では治ったように見えても、元の場所に戻るとすぐに症状が悪くなることも少なくなかった。それは、本人が精神状態を崩した背景がそのままだからだ。

 オープンダイアローグでは、困難を抱えた人がいるその場所で、その人に関わる人たちと一緒に対話する。その場で起こった困難は、その人だけが原因なのではない。その人を取り巻く環境、人間との関係性が影響している。だからその人に関係する人と一緒に、その場で対話する。

(p.83-4)

 

 リフレクティングは、「話すことと聞くことを分けて、それらを丁寧に重ねるための工夫」と説明される。誰かが話しているとき、聞いている人は聞くことに徹する。何と答えようかとか、次に何を話そうかとか、考えながら聞くのではなく、ただ聞く。話す人も、自分が話しているときに誰かに遮られたりしないことを知り、安心して話したいことを話す。そのように話すことと聞くことを分けると、自然な会話が生まれてくる。そして、その分け方は無数にある。

(p. 85-6)

 

 2018年5月、私はフィンランドにいた。2年の間に、1回一週間、全8回ほど通ってトレーニングを受ける。その間にはたくさんの課題がある。……

 

 最初の宿題は、自分の人生に関わる大切なものを持ってくるというものだった。しかし私は、それをすぐには思いつかなかった。あとで、その理由に気づく。私は過去に触れたくなかったのだ。大切なものというのは、すべて過去と繋がっている。大切な過去があるから、それが大切なものになる。

 

 私は、何を持っていけばいいかわからないまま、フィンランドに向かおうとしていた。この直前に家族をもったというのは、少し前に書いた。だが、私はまだ、家族になるということがどういうことなのか、よくわかっていなかったと思う。その私に、妻は、フィンランドに出かけるとき「家族」をしてくれた。

 それはこういうことだ。妻は、自分が大切にしているビタミン剤を、出発間際に私に無理やり持たせたのだ。妻はビタミン剤にはまっていた。私はそういうものは嫌いだったから持っていかないと言ったのだが、私がなんと言おうと渡そうとした。時間切れになって私が折れたのだが、私はこの時のやりとりに、家族っぽさを感じていた。

 

(そして著者は、フィンランドのセッションでそのビタミン剤を見せて話した)

 

「断ったのに持たされた。だけど、それは嫌な気持ちではなかった。私の意見が採用されたわけでも、尊重されたわけでもなかったのだけど」

 実際、私の意見は無視されたようなものだった。

「妻は、私の意見を聞かずに自分の思いを私に押し付けた」

 少しの間が空いた。沈黙の時間。私は自分の中の気持ちを捉えようとした。

「私は家族との縁が薄かった。なので、家族というものがよくわかっていないのかもしれない。私はかぞくを、このビタミン剤に感じたのだと思う」

 妻は、私のことを自分のことのように心配した。妻と私の間の境界はとても低く、妻は容易にその境界を越えて私の側に侵入してきた。私は、無防備でいられることが、とても心地よかったのだ。

(p. 105-8)

 

 それまでの間、医師の私が中心になって行う対話は、対話なのか単に輪になっただけなのかわからないものだったが、スタッフと対等の立場で話すようになったら、明瞭に対話が広がった。今では、他のスタッフが入ることで、対話がこれまでと全然違う、豊かなものになることを実感している。私一人の考えではどうにもならないことがしばしばあるし、他のスタッフが話しているのを聞くことで刺激も受けられる。また、花さない時間があることで考える間が生まれ、私自身の中にも新しい考えが浮かびやすくなる。対話の場にいるそれぞれの思いが重なって、新しい考えやこれまで話されていなかったことが話されるようになっていく。

(p. 154-5)